キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

亡くなられた方の思い出「一生友だちでいよね」

昨日、お世話になった大先輩の告別式に行ってきました。
 
部下として一緒に仕事をしたことはなかったのですが、年に何回かその方をかこんで飲む会があって、メンバーにいれてもらっていました。
 
その方の大好きな言葉があります。
 
「一生友だちでいよね」
 

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いっしょに飲んでいると、別れ際にいつもニコニコ笑いながら、「一生友だちでいよね」とおっしゃってました。
 
まず出会えることが奇跡、出会えて気があうのはなおさら奇跡。
 
こうやって出会ったからには「一生友だちでいよね」という考え方、とても好きでした。
 
他にも、好きな言葉があります。
 
「生きとし生けるものを大切にね」
 
生きとし生けるものって、植物、むし、動物、いろいろありますが、人間のことを言われていたと思います。
 
「職場には、まじめにがんばっているのに、陽が当たらない人がいる。それでも、不平も言わず、一生懸命がんばっている人をみると、だきしめてあげたくなる」
 
と言われるのを聞いたこともあります。
 
「生きとし生けるものを大切に」というのは、人の人生とか気持ちを大事にしようねと語りかけておられたんだと思います。
 
仕事にはきびしい人でした。
 
パソコンの待ち受け画面には「矜恃(きょうじ)」という漢字がながれていました。
 
矜恃とは、自信と誇りをもって、堂々とふるまうこと。
 
自らの仕事に責任をもち、生きとし生けるものの想いやしあわせを背にして、上にも下にも横にも堂々とがんばる。
 
そういう仕事観がとてもカッコいいなぁ〜こんな人になりたい、まねしたいなといつもどこかで思っていました。
 
その方の一生は終わりましたが、自分の一生はまだ終わってません。心のなかでは自分の一生が終わるまで一生友だちでいたいと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt 

体幹が大事

お正月のスキーには新しいクラウン4WDで行きました。
 
クラウンは雪道でもたいへん安定していて、安心して運転することができました。
 
それで思ったこと。
 
体幹が大事。
 

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今のクラウンは商品企画にすこし関わったので、とても思い入れのある車です。
 
プラットフォームが約15年ぶりに最新のものへと刷新。性能は大きく進化をとげました。
 
プラットフォームとはクルマの骨格。人でいえば体幹です。
 
新しいプラットフォームでは、クルマの重心の位置が低く真ん中にくるようになりました。
 
そして、ボデーの剛性がグッとあがりました。
 
これにより、走りの基本性能が格段にあがりました。
なぜ、重心と剛性がそんなに大切なのか?
 
まず、重心。人が走るときのことを考えてみればわかります。
 
人は頭にモノをのせると、なかなか走れません。重心が高い場所にあって安定しないからです。ショルダーバッグを肩にかけて走るのもとても走りにくい。重心が横にあるからです。それよりはランドセルやリュックのほうがずっと走りやすい。ウェストポーチはもっと走りやすい。
 
重心が低く真ん中にあることがどれほど走りの性能に大事かがわかると思います。
 
次に、剛性。これは、車輪のうえにのっている箱のかたさを考えるとよくわかります。
 
たとえば、こんにゃくにタイヤをつけて走った場合。地面のがたがたやカーブで曲がったときに、こんにゃくはブルブルふるえます。上にのっている箱がブルブルふるえれば、その影響をうけて、こんにゃくクルマは安定しなくなります。
 
一方、かたい金属の箱にタイヤをつけた場合、地面のでこぼこやカーブで箱のかたちはかわりません。振動やかたむきはすべてタイヤと箱とタイヤを連結しているばねが吸収します。だから、金属のクルマは安定します。
 
ところが、
 
この重心を低く真ん中にすることと、剛性を高くすることは簡単ではありません。
 
なぜなら、クルマはハンドルが片方についているので左右対称ではない。そして、エンジンや人を乗せるので、案外、重心は高くなります。また、剛性を高めようとすると重くなります。重くなることは人がデブになるのと同じなので、基本性能にはマイナスです。こうした
 
「あっちをたてればこちらがたたず」のようなことを技術の力でのりこえなければなりません。それは大変は技術と努力の結晶です。
 
そのちがいは、雪道のような不安定な道になればなるほど、はっきりと出てきます。そのことを今回のスキー旅行でほんとに感じることができました。
 
そして、
 
考えてみれば、それは、人やスポーツも同じだなと思います。
 
スキーにしても、ゴルフにしても、テニスやサッカー、
 
あらゆるスポーツで体幹はとても大事です。
 
どんな状況でもぶれない体の軸をささえる体幹は、スポーツの基本能力を決めます。そして、体幹の筋肉をきたえるのはとても根気がいります。
 
人にしたって、人生のどんな状況でも、自分のぶれない軸をもつ。その軸をささえる考え方、いわば心の体幹をもつことが、人の魅力を決めるように思います。
 
どんな修羅場も「よか」と言えた西郷どんなんて、最高の心の体幹の持ち主。
 
人もクルマもスポーツも、体幹が大事。
 
クラウンで雪道を運転しながら、そんなことを思いました。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt

大学でギリギリを学ぶ。

大学のバンドと彼女の話を書いたので、勉強の話もすこし。
 
昔、なぎスケという草なぎ剛とユースケサンタマリアが司会のバラエティ番組があって、その番組の
 
ギリギリマスターという企画が大好きでした。
 

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たとえば、めざまし時計の針を目をつぶってアラームがなる寸前で針をとめるとか、風船をギリギリまでふくらませて、割ったほうが負けとか、ようするに、誰が一番ギリギリで寸止めできるかを競いあって、ギリギリマスターを決めるという企画です。
 
昔、端っこが好きという話を書きましたが、ギリギリというのも好きです。
 
大学では法学部で法律の勉強をしました。
 
勉強をしたと言っても、バンド活動の日々だったので、ほとんど授業は出ていませんでしたが、それでも卒業するために、法律の勉強はしました。
 
法学というのは、法律をどう解釈するかという学問です。
 
法律をどう解釈するかというのは、ギリギリセーフとアウトを決めるということです。
 
だから、法学部ではギリギリを学んだと思っています。
ギリギリを決めるために大事なポイントが二つあります。
 
ひとつは、法律が定められた目的。
 
法律は、どんな社会をつくりたいかという目的があって制定されます。で、現実には制定したときには考えもしなかったことがおきます。そうすると、それが違法かどうかを解釈しなければいけません。そのとき、その起きたことが目的からみて、OKかどうかがとても大事な解釈のポイントになります。
 
もうひとつは、その時代の常識。
 
常識は時代とともに変わります。常識とはそのとき生きている大多数の人がただしいと思っていることです。法律が制定された時から時間が過ぎて常識がかわったとき、常識にあわせて法律の解釈も考え直さなければいけません。なぜなら、そうしないと判決がみんながそのとおりと思う判決にならないからです。だから、常識もとても大事になります。
 
ギリギリセーフかアウトかは、目的と時代の常識、どんな社会をみんながめざしているのか、望んでいるのかで決まる。
 
つまり、
 
ギリギリがわかると、本質がわかる。
 
考えてみれば、塩加減や火加減はギリギリまで極めた料理は最高、ギリギリまでチューニングしたクルマの性能は最高。
 
ギリギリって何事にも大事な感覚だと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt 

はじめての恋

大学時代の思い出というともうひとつ、恋愛です。
 
男子校で、このまま一生女の子と話すことができないんじゃないかと心配していた僕ですが、
 
大学一年生の冬に彼女ができました。
 
大学の同じクラスの女の子。
 
秋の学園祭は、とてもいそがしい学園祭になりました。バンドのライブ、テニスサークルの屋台、そして、クラスの仲間でつくった自主映画の上映会。
 
自主映画はクラスに映画にくわしい奴がいて、彼が監督。僕は脚本と主演。はじめての彼女はそのとき共演した女の子でした。
 
一対一ではうまく話せなかった自分も、いっしょに映画をつくっていくうちに、彼女とは普通に話せるようになりました。
 
そうこうしているうちに、この子かわいいなぁと思うようになって、一緒に帰るタクシーのなかで告白。ドキドキしながら、
 
「好きや」
 
相手もニコッと笑って、
 

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「わたしも好きや」
 
今回はすでに友だちみたいに話していたので、話題にこまることもなく、翌日ふられることもありませんでした。
 
とにかくはじめての彼女だから、デートするだけですごく楽しかった。
 
どこにデートに行くかとか、いつ手をつなぐかとか、クリスマスプレゼントを一生懸命考えたりとか、40年前とはいえ、ずいぶん純情なつきあいだったなと思います。
 
相手もとってもまじめな子だったので、いわゆるプラトニックなおつきあい。週に2、3回あって楽しく遊ぶようなつきあいでした。
 
その当時の日記を、はずかしいけど、勇気をもって読み返してみました。
 
ほぼ毎日、ときめいたり、おちこんだり、よくもまぁ〜あきずに、つかれずに、あがったりさがったりをつづけていたもんだと思います。
 
まるで、自分中心の子どもだなと思いますが、あって楽しく遊ぶだけの恋愛でも、毎日ワクワクドキドキしていたわけで、今読み返してみると、なんだかバカバカしいなと感じながらも、そういうのもよかったなと思いました。
 
人はいろんなことを経験するうちに、ワクワクすることがへっていく。年をとると、はじめてのことをするのが少しおっくうになる。
 
でも、いくつになっても、あの頃のように、普通のことをワクワクできる感性と、はじめてのことに心をウキウキさせる勇気をもちつづけたいなと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt 

友だちをとるか、成長をとるか?とった選択とまねいた結果。

高校時代の友達の話やすべらない話を書いたので、大学時代の話を書きたくなりました。
 
大学時代は、授業にはほとんどでず、ほぼバンド活動の日々でした。
 
自分はヴォーカルとサックスを担当。曲も自分でつくっていました。
 
最初のバンドメンバーはギター2人、ベース、キーボード、ドラム。途中から、ギタリストが一人やめ、ベースが変わり、女性コーラスがはいりました。
 
みんな、軽音楽部に入部して、しりあった仲間でした。バンド練習をし、練習後は仲間のアパートで楽しく過ごし、ライブをする。そんな日々のなかで、すぐになかよくなりました。
 

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リーダーはつくらず、僕が曲をつくって、つくった曲のうち、どの曲をバンドでやるかはバンドメンバーの多数決で決めていました。
 
ようするに、なかよしバンドです。
 
前にも書きましたが、自分がつくった曲のアレンジをメンバーが考えてきてくれて演奏したとき、自分が想像したよりいい曲になることが自分にとってバンド活動の一番の楽しみでした。
 
でも、活動をつづけていくうちに、バンドとしてはマンネリがでて、壁にあたりはじめます。
 
たまたま集まったメンバーなので、実力にも差が出はじめました。
 
バンドとして成長するには、ただ楽しくやるだけでなく、新たな目標を決めてめざしたり、メンバーを変えることが必要でした。
 
でも、それはしませんでした。
 
友だち関係がくずれるのがいやだったのと、新しいメンバーを見つける自信かなかったからです。
 
今、当時の演奏を聞くと、メンバーの誰が一番努力していたか、演奏がうまかったかは、すぐわかります。でも、不思議なことに当時はわかりませんでした。
 
友だち関係があって、客観的にみることができなくなっていたんだと思います。
 
高校の友だちとは40年以上あいつづけていますが、バンド仲間とはほとんど会っていません。
 
仲が悪くなるのがこわくて、バンドメンバーをかえなかったのに、結果はバンドの成長がとまり、仲もそれ以上深くなりませんでした。
 
なので、卒業してからほとんど会おうという気持ちになりませんでした。
 
考えてみれば、高校の友だちとは、大学受験といういっしょに目指しているものがありました。
 
ほんとうの深い友だちって、いっしょにいるときの楽しさだけでなく、いっしょに何かをめざして、努力して、ともに成長した経験がつくる。
 
今を今のまままもるだけでなく、未来につながる今をつくることが、未来にもつづく友だちもつくる。
 
そう思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
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「なんとかやってる」って、いい言葉だなぁと思う。

この間、しばらく会ってなくて連絡もとってない人とばったり会いました。
 
そのひさしぶりのにあった人に、
 
「最近どう?」
 
って聞いたとき、
 
「なんとかやってる」
 

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って、少し笑顔で答えがかえってきました。
 
そうかぁ〜そこまで順調というわけではないけれど、くるしてたまらない日々をおくってるわけでもないんだなぁと思いながら、
 
それって、ちょうどいい答えだなぁと思いました。
 
めちゃくちゃうまくいってますと言われると、この人虚勢を張ってるのかなぁ〜と思ったり、もし本当なら、その人にくらべて自分はどうなんだろうと思って考えこんでしまうけど、ちょっと笑顔で「なんとかやってる」といわれると、そうかぁ〜いろいろあるけど、なんとかやってるんだ、自分もなんとかがんばろうって思える。
 
そして、「なんとかやってる」と言えるってことは、なんとかしあわせということで、そう言われると、自分もなんとかしあわせにはやってるなと思える。
 
そんなやりとりがちょうどいいなぁと思ったわけです。
 
昨日、ひとりぼっちではないと感じられた時に人は笑うと書きましたが、まさにこうした会話も大笑いはないけれど、ひとりぼっちじゃないと感じることができる会話。
 
こういうすこし共感することができる、すきのある言葉はとてもいい言葉だと思います。
 
勝負事に隙は禁物ですが、人には少しすきがあるくらいがちょうどいい。
 
以前、「いろいろあるけど元気です」って言葉が好きだと書きましたが、
 
「なんとかやってる」というのも、なかなかいい言葉です。
 
必ず学べることはある
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さんまちゃんの名言「落ち込むほどの実力はない」

「落ち込むほどの実力はない」
 

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さんまちゃんの名言です。年末のアメトークスペシャルで、さんまちゃんとお笑い第七世代といわれる若手芸人がトークするコーナーがありました。そこで、この名言を知りました。
 
ネットで調べてみると、こんなインタビューものっていました。
 
「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと・やったことがすべてやねん。」
 
ほかにもいいなと思った言葉がたくさんありました。
 
「生きてるだけで丸儲け」
「悲しんでいる人の前で悲しんであげたらダメでしょ」
「勝ち負けは『努力』の要素だけで左右されるほど甘いもんやない」
 
どの言葉も、笑いの力で今を前向きに生きようとする姿勢を感じることができて、とても好きです。
 
さんまちゃんのこうした言葉や笑いには、おちこむことが、自分本位でばかばかしいことだと感じて、からだから変な重みやよどみをなくしてしまう、そんな力があると思います。
 
笑いには、人の体をなおす力もあるそうです。入院患者で長生きする人、治るのが早い人は、よく笑う人だそうです。そして、名医と言われる人には、人を笑かすことができるユーモアのある人が多いといいます。
 
そもそも、動物で笑うのは人間だけです。
 
人が最初に笑うのは赤ちゃんの時。赤ちゃんはどういうときに笑うのか?
 
いないいないばぁで親の顔がでてきたとき、鏡をみて親にだかれている自分をみたとき、いずれも
 
ひとりぼっちではないことが確認できたとき、赤ちゃんは笑います。
 
人は一人では生きていけない動物です。人は一人きりだとか、誰にも必要とされていないと感じた時、おちこむ。だから、人はじぶんが一人きりではないと感じた時、安心して笑う。
 
自分がダメだなぁ〜こんなにダメなのは自分だけだと思っている時、バラエティでダメなバカなことをしてる人をみて、安心して笑う。あるあるネタを聞いて笑う。
 
そして、笑うことで、落ち込んでいる状態からぬけだすことができる。
 
だとすれば、
 
人を笑わせる人は、人の悲しみやダメだなぁと思うことをすごくよくわかっていないといけない。
 
昔みたさんまちゃんのドキュメンタリーで、さんまちゃんが、
 
「生まれ変わったらもういちど、お笑いをやりたいですか?」と聞かれて、
 
「こんなにしんどいこと、もういいですわ」
 
と答えるのを聞いて、
 
話すことがただ好きな人だと思っていたけど、人を笑わすために、とんでもない努力をしていることを知って、おどろきましたが、その努力は笑いを追求する努力だけではなく、人の悲しみを知る努力もあったんだろうと今は思います。
 
いやぁ〜さんまちゃんはすごい。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt