キムライフ

もらったものは次の人に渡す。トヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

一流になる秘訣、それは続けること。あきないこと

トヨタ店70周年を記念した取り組みとして、もう一つ大きな取り組みがありました。
 
トヨタ店の歌です。
 
トヨタ店の従業員約2万人から、好きなフレーズや言葉をもらって歌詞をつくり、メロディをつけ、振り付けを考えて、恋するフォーチュンクッキーみたいにみんなで踊って、動画をつくりました。
 
みんなの心を一つにすること、歌って踊る現場の方々を動画で紹介することで、お客様に親しみを持っていただくことが目的でした。
 
なかなか素晴らしい動画ができました。
 
 
そのトヨタ店の歌づくりをしていただいたのが、国際的に活躍されているジャズギタリストの吉田次郎さんです。
 
その吉田次郎さんが教えてくれた一流になるための秘訣があります。
 

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それはとにかく続けること。
 
もっと上手くなりたいという気持ちでギタリストを目指す若い人はたくさんいます。しかし、20代には10000人いた目指す人が、30代になると1000人、40代では100人、そして、50代になると数人にまで減っていくそうです。
 
数人ということになれば、すでに一流です。
 
では、なぜ多くの人は続けられないのか?
 
それは、結局、大半の人が途中であきてしまうからだそうです。
 
では、あきないためにはどうすればいいか?
 
そのためには二つのことが大事だといいます。
 
まず、好きなことを選ぶこと。
 
次郎さんは好きな道を選びました。普通はなかなか自分の好きな道に出会うことができないことが多いと思うので、選んだ道を好きになることということかもしれません。
 
次に、自分を高めること
 
そのためにはよく考え、勉強や努力を惜しまないこと
 
ただ、高め続けるというのは難しい。例えば、ギターの場合、とにかく速く弾くとか、かっこよいフレーズを弾くといった表面的なことは、最初は面白いのですが、すぐあきてしまうそうです。
 
次郎さんが頑張っておられるのは、いい音を出すということ。
 
こうした本質的なことを極めようとすることは、際限がなくあきることがないといいます。
 
テレビ番組で競馬騎手の武豊さんの特集を見たことがあります。武豊さんは日本を代表する一流の騎手、50才になられてもバリバリの現役です。
 
特集番組の中で、武騎手は、自分はまだまだだけど、騎手愛だけは誰にも負けない。
 
そして、
 
常に、いかに馬に負担をかけずに乗るかを考え乗っているが今もまだまだうまくできない。もっとうまくなりたい
 
と言われていました。
 
そして、トヨタ自動車。創業以来、もっといいクルマづくりを飽きずにやっている会社です。一時期、悪くなったときは、でかくなりたいとか、グローバル企業になりたいとか、少し表面的なことの頑張りになってしまっていたのかもしれません。
 
有森裕子さんの話をしましたが、有森さんもまた飽きずに誰よりも頑張り続けてメダリストになられました。
 
もちろん、先頃引退されたイチローさんもずっと飽きずに野球を極め続けた方です。
 
 
クラウンが日本を代表する名車になったのも1955年、初の国産乗用車として誕生して以来、日本一のいいクルマめざして、常に進化し続けてきたからだと思います。
 
そして、
 
人であれ、会社であれ、モノであれ、そんな風に一生あきずに頑張ってきたことは、一流になり、人の心を動かす。
 
逆に、頑張るのをやめ、進化をやめたとき、一流でなくなっていくのでしょう。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt 

 

我々は何を売っているのか?お客様は何を買っているのか?

我々が売っているもの、お客様が買っているものってなんだろう?
 
と言えば、トヨタならクルマでしょ、何をあたりまえな事をと思われる方がほとんどだと思います。ただ、この間、本を読んでいたら、いやいや、
 
人は情報を買っているのだと書いてありました。
 
例えば、高級腕時計などブランド品はわかりやすいのですが、ROLEXの時計、大変高いですが、あれをモノとして見たら、腕にせずに置いておくと止まるし、数年使っていると狂いだし、定期的なメンテナンスも必要だし、正確無比のクオーツ時計に比べれば、粗悪品といわざるを得ません。
 
そんな性能の悪い時計なのに、多くの人が憧れて、高級時計に高いお金を出して、買ってしまいます。
 
では、お客様は、何にお金を出しているのか?
 
それは、時計というモノの機能ではなくて、
 
世界最初の完全防水腕時計だとか、初めてのカレンダー付腕時計だとか、昔から続く大変高い技能の結晶だとか、細かい歯車の数々が精密ですばらしいとか、世界のセレブが愛用しているとか、再販価格が高いとか、
 
あげだすときりがないほどの理由、情報、
 
人はその情報に惚れて、お金を出しているわけです。
 
高級ブランドは長い歴史をもつものがほとんどですが、それは、長い時間の中で、たくさんの情報が発信されてきたからだと思います。
 
ところが、インターネットが拡がった今、たくさんの情報を発信するのに、長い時間は必要なくなりました。歴史がなくてもブランドをつくれる時代になりました。
 
クルマは走る、曲がる、止まるという基本性能・機能をもったもので、その機能を売っているとついつい思ってしまいますが、
 
クルマもまた、そんな機能だけをお客様は買っているわけではないでしょう。
 
たとえば、クラウンには、初代クラウンから今のクラウンに続く物語、情報がたくさんあります。約50台のクラウンがよみがえったのを見たとき、まさにそのことを感じることができました。また、
 
40才でクラウンを買われた方とたまたまお会いしたことがありました。
 
その方はクラウンを買って、まずやったことはお父さんに電話をしたことだそうです。
 

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その方のお父さんは学校の先生をされていたのですが、いつも宣伝を見たり街を走るクラウンを見て、いつかはクラウンを買いたいなぁと言われていたそうです。
 
だから、その方は自分がクラウンを買ったとき、自分もクラウンを買えるようになったということを、お父さんに伝えたくて電話をされました。なのに、お父さんの答えは「そうか」と言っただけ。そのぶっきらぼうな反応にちょっとガッカリしていると、お母さんからの電話で「お父さん、喜んでたわよ」。その方はそのことを聞いて、とてもうれしかったといいます。
 
その方には、その方の持つクラウンの物語、情報がある。それを買われた。
 
36年クラウンを乗り続け、動かなくなったクラウンを捨てられなかったあの渡邉さんにも、渡邉自身の物語、情報がクラウンにはやどっていた。
 
お客様は何を買っているのか?クルマって深いなぁと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
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約50台のクラウンがよみがえる。レストアクラウンプロジェクト

36年乗り続けて突然動かなくなったクラウンをよみがえらせた話を書きました。
 
2016年はトヨタ店の創立70周年。販売店さんと何か面白いことはないかと飲み会で話していて、
 
初代クラウンなど古いクラウンを全国のトヨタ店が一社一台よみがえらさせて走らせたら面白いんじゃないか
 
と盛り上がり、約50台のクラウンをよみがえらせて走らせるプロジェクトが始まりました。
 

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よしやろうって、あまり深く考えずに決めてしまったのですが、それからがたいへん。
 
まず、クルマを見つけなくてはいけない。クルマを見つけたら修理をしなければいけません。修理といっても、なかにはボロボロのクルマもありますから、
 
全部分解して、錆びてダメになってる部品は手づくりで作りなおし、それを組み立てて、もとにもどしていかなければいけません。
 

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運転するのにも神経を使います。もちろんマニュアル。パワステなんてないので、ハンドルがおもい。止まってるときにそのハンドルを無理に回そうとすると、ハンドルの部品がこわれてしまいます。
 
なかには、大切にしていたお客様からゆずりうけたクルマもありました。
 
たとえば、初代クラウンをお亡くなりになるまで乗り続けられたお客様のクラウンです。このままスクラップになるのは忍びないと販売店さんにこの車を多くの方に見せて欲しいと託されました。
 
最初は難航していたプロジェクトでしたが、進むにつれ、そんなお客様の思いにふれ、クルマをなおしているうちに、創業の頃の苦労を知り、クルマをピカピカに治したいというエンジニア魂に火がついて、どんどん盛り上がっていきました。
 
最後は、8月、クラウンをずっとつくり続けている元町工場にすべてのクラウンが勢ぞろい。
 
元町工場の方は初代クラウンのラインオフ式のお祝いゲートを手づくりで再現。元町工場で出走式、東京まで430キロの道を走破。
 

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こわれないように、クルマの音、ハンドルやシートから伝わる振動、においに注意して、エアコンがないので、窓を開けて、風を感じながら、まさに五感を使って運転して、川崎から多摩川を越える六郷橋を渡ったときは感動しました。
 
酔った勢いで始まったプロジェクトでしたが、うまくいって、あらためて、
 
クルマという商品の持つ力のすごさ、お客様や整備するエンジニアがクルマにこめる思いの強さを強く感じました。
 
モノからコトへと言われますが、クルマという商品には、そのクルマをつくる人の気持ち、乗る人の気持ち、整備する人の気持ちが入りこんでいる。コトとは経験、気持ちです。そういう意味では
 
クルマというモノ自体が、すでにコトなのかもしれません。
 
だから、クルマには魅力がある。そんなクルマを大切に、なくならないようにしたいなと思います。
 
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36年乗り続けて、突然動かなくなったクラウンがよみがえる物語

「36年乗り続けて動かなくなったクラウンを廃車にすることができず、家のガレージに大切に保管しました。いい車をありがとうございました」と、メーカーにお礼状を出されたお客様がおられました。
 

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そのお客様は、動かなくなってからも、毎朝、ガレージにいって、クラウンにおはようの挨拶と36年間のお礼を言われて、一日をスタートされていました。
 
こういう話を聞くと、改めて、車という商品は特別だなぁと思います。
 
いろんな工業製品のなかで、なぜ車はそういう存在なのか?
 
その方は、もともとその町の町長さんを10年間つとめられました。そのクラウンは町長車として乗られていました。そして、町長を退任されたとき、町長車だったクラウンをゆずりうけられました。
 
休みの日には助手席に先に亡くなられた奥様を乗せてよくドライブされていたそうです。その後クラウンが動かなくなるまで乗り続けられます。
 
そのクラウンがある朝突然動かなくなりました。そのときの落ち込みようはすごかったと娘さんは語ります。
 
その方にとって、そのクラウンは、町長だった自分の象徴であり、奥さまとの思い出であり、年老いた自分の分身、そんな存在だったのでしょう。
 
長い時間、クルマともにいろんな時間をすごすなかで、特別な存在になったのだと思います。
 
今、クルマは所有から利用の時代になる、カーシェアが進む。そう言われています。事実、自分の子供もクルマは好きなのですがクルマは持たず、友達と遠くに遊びにいく時だけ、レンタカーを借りていました。
 
でも、クルマは単なる移動手段だけではありません。そこにクルマの魅力があるし、そうした商品に関わる仕事ができることに喜びと感謝と責任を強く感じます。
 
クルマをつくったり、販売したり、メンテナンスしたり、部品を供給したり、そうした仕事は、単に商品やサービスを提供しているだけではない。そんなお客様の生活をつくるお手伝いをしている。そう思って働くことがこれからもっと大事になるような気がします。
 
ちなみに、そのクラウン、また動くようにレストアしてクリスマスの日にプレゼントしました。
 
その方はクラウンが再び帰ってきたその日、おそらく町長の頃きていたようなスーツに身を包み、クラウンが到着すると、まるで、かわいい子供をなでるように、クラウンをなでておられました。
 
その物語をまとめた動画があります。約9分の少し長い動画ですが、もしお時間があれば、ご覧ください。
 
 
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豊田佐吉翁はまるでスティーブジョブス

売店の代表者の方々と上海に研修旅行をしたことがあります。最大の目的は上海豊田紡織廠記念館見学です。
 

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上海豊田紡織廠は戦前に豊田紡織が上海につくった紡織工場の記念館です。そこで、館長の春日井さんより、豊田佐吉の人生について約二時間ご講演いただきました。
 
豊田喜一郎からのトヨタの歴史は学ぶ機会がありましたし、ドラマリーダーズでも知ることができましたが、それ以前、トヨタグループを興された豊田佐吉翁の話となると、ほとんど知りませんでした。が、
 
その人生の波瀾万丈、ベンチャースビリット溢れる生涯にほんとに感動しました。
 

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佐吉は、織機を発明したことで有名です。織機を発明してからは、その発明で大成功の人生をおくられたと思っていましたが、現実は違います。
 
機械の製造販売でいくつもの会社を作っては、パートナーに裏切られるなどして会社をつぶしてしまいます。
 
しかし、その織機の性能の素晴らしさに大手商社が目をつけ、製造販売の会社を設立。やっと順風満帆と思いきや、日露戦争を境に会社の業績は低迷。
 
業績に関係なく研究開発に没頭する佐吉はクビになってしまいます。
 
おまけに、特許権も全て会社に渡してしまっていたので、文字通りの無一文に。
 
そんな佐吉を見かねて、大手商社のトップが一年間の外遊に出させてくれます。
 
そこで、自分の織機の性能に自信を持つとともに、人との出会いもあり、再起を誓い、帰国後、豊田紡織を立ち上げ、大成功。
 
その後もチャレンジは衰えることなく、織機の改善に成功するとともに、喜一郎に自動車をやるようにすすめます。
 
その人生は、マッキントッシュを開発してアップルを立ち上げながら、業績に関係なく開発を続けたため、会社を追われ、その後、復活した後、現在のアップルを築き上げたスティーブジョブスの人生にそっくりだと思いました。
 
しかも、豊田佐吉さんの場合、自分が発明し事業の基礎となる特許権を次なる自動車事業のために、売ってしまうわけですから、その決断はほんとにすごい。
 
また、佐吉が発明したG型織機には、現在のトヨタ生産方式につながるスピリットが満載です。高効率・高品質を目指すだけでなく、働く人の安全・健康にまで配慮された見事な工夫がいたるところにあります。
 
素晴らしいモノをつくって、人々の生活を変え幸せにする、その信念で常に新たな未来に向けて突き進む姿には本当に心打たれます。
 
失敗しても失敗しても諦めず、成功してもチャレンジをやめないベンチャースビリットと人を大切にする精神、それこそ、トヨタの原点であることに触れた気がしました。
 
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辻口パティシエは料理もビジネスも凄腕のすばらしい方でした。

売店さんとのご縁で辻口パティシエにお会いしたことがあります。
 
ご存知の方も多いかと思いますが、辻口さんは日本を代表するパティシエで、朝のテレビ小説「まれ」の元になった方です。大変気さくで、かつ、志の高い方で、ケーキ職人というだけでなく、実業家としても大変素晴らしい方でした。
 

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辻口さんは23歳で日本一になられ、以来6年連続で日本一、その後、世界大会にも出場し世界一
 
になられています。今も、コンクールには参加されており、
 
その準備の期間は、午後3時から深夜2時まで、ずーっとお菓子づくりに取り組まれるそうです。
 
連続で日本一をとっていた頃は、もし審査員が選ばなかったら、生霊になってつかれると審査員が感じるくらい、一心不乱にやっていたそうです。
 
辻口さんがコンクールに打ち込んだ理由は、職人として日本一を目指すためだけでなく、とにかく有名になってメディアに出れば、出資してくれる人が必ず出てくる、その出資者をつかむため
 
だったといいます。
 
その後、出資者が現れ、一軒のケーキ屋さんからスタート、今では、たくさんのケーキ屋さんやお菓子ブランドを展開されています。
 
おみやげのお菓子づくりにも力を入れておられます。
 
おみやげづくりのポイントは二つ。
 
ひとつ目は、地元の食材を使うこと。
 
愛知県でも名古屋駅に行くと、辻口さんの西尾の抹茶を使ったかりんとうか販売されています。このかりんとう名古屋駅でないと買えません。
 
それが
 
二つ目のおみやげづくりのポイント。どんなに人気が出ても、絶対ご当地以外では売らないこと。
 
ご当地以外で売ると最初は売れるのですが、どこでも手に入るということになると、しばらくすると売れなくなるそうです。
 
だから、同じお菓子をたくさん作るのではなく、ご当地名物のお菓子の種類をたくさんつくることで、量を出す。
 
面白いビジネスモデルだなぁ〜と感心しました。
 
こんな風にビジネスセンスも素晴らしい方ですが、経営とお菓子作りはとても似ていると辻口さんは言われます。
 
お菓子づくりと経営との共通点は、出口を明確にして、段取りをきめて進める点。
 
お菓子づくりでは、どんなにいいスポンジ生地を泡立てて作っても、そのときにずぐにオーブンに入れられないと台無しになってしまうそうです。その優先順位と段取りをきめて進めるノウハウが経営と同じなんだそうです。
 
実は、スイーツは日本独特の食文化です。
 
ケーキは欧米でしょと思われる方も多いと思いますが、欧米ではケーキはフルコースのデザートで食べるもので、ケーキだけを専門に作って売るケーキ屋さんがこんなにあるのは日本だけです。
 
辻口さんの現在の夢は、スイーツ産業を日本初のグローバル産業にすること。
 
そのために、必要なことはまずは人づくりということで、お菓子作りとお菓子作りを通じて段取り・経営を学ぶ「スイーツ育」という教育を拡げるため、スイーツ学校を作ったそうです。
 
モノづくりは人づくり、人づくりは国づくり、ゆくゆくは大学を作りたい
 
と言われていました。
 
できないことは何もない、そう明るく話される辻口さん、
 
ベンチャースピリットあふれる方で、たくさんの元気をいただきました。
 
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君に玉砂利の意味がわかるか?上司に聞かれ、ある日気づいたこと。

厄年の41才になった時から毎年、伊勢神宮に初詣に行っています。
 
伊勢神宮は、天照大神をお祀りするすべての神社の上に位置する社格の神社だけに、流れる空気が何が違い、まさにパワースポットって感じです。
 
伊勢神宮の特に内宮にいたる参道は長く、玉砂利が敷き詰められています。そして、その道は、とても大きな木々が生える森の中へとと続き、そこに内宮があります。
 
昔、お世話になった上司、決断は55対45であることを教えてくれた上司が、
 
「君は玉砂利の意味がわかるか?」
 

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仕事の打合せ中に、まるで禅問答のようなことを聞かれ、当時はまるで何のことやら、不思議なことを言う人だと思っていましたが、ある日、おまいりしているときに気づきました。
 
その日は、ちょうど、お供え物をする儀式が行われていて、お供え物を神職の方々がお清めをされていました。
 
お清めは、玉串といわれる木の枝と塩で行います。
 
その時、気づいたんです。
 
玉串は木、いわば山、塩は海をあらわしているんだなと。
 
昔、熊野灘という海岸に行ったことがあります。熊野灘は伊勢をさらに南に行ったところにある長い海岸なのですが、そこの砂浜の砂は、波が荒いために玉砂利なんです。
 

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つまり、神社の中に続く玉砂利の道は海岸をあらわしている。そう思って、
 
たくさんの人が歩く音に耳をすますと、その音がまるで波の音に聞こえます。
 
伊勢神宮は、大きな木が何本もあって、とてもきれいな川が流れ、そこに長い海岸が続く場所。
 
あらゆる自然が混然一体となって、調和し、たたずむ場所。
 
日本人は、島国で、台風、地震、洪水とさまざまな自然の力にほんろうされてきました。
 
そんな日本人が自然に恐れを感じ、そこに神様の存在を感じたとしても、不思議ではないなと思います。
 
伊勢神宮におまいりする時は、大きな木を見上げながら、玉砂利に波の音を感じ、深呼吸して、自然を感じて、お祈りをする。
 

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そうすると、感謝の気持ちと、いろんな運命を静かに受け入れる覚悟のようなものが生まれるような気がします。
 
日本人は、明治維新にしても、太平洋戦争で負けた時も、他の国にくらべれば、はるかに静かに、大きな変化を受け入れて、成長してきました。
 
元号が令和にかわり、令和もいい時代になるといいななんて言っている日本人も、そんな歴史を歩んできた国民ならではの発言のように思います。
 
今、社会が大きく変わり、日本はどうなるのか?ずいぶん心配する人も多いですが、
 
これまでの日本人のように変化を受け入れ、逃げずにがんばって、したたかに静かに変わっていきたいものです。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt