2007年、ヨーロッパに異動になりました。初めての海外、TOEIC800点の英語はまるで通用せず、仕事もはじめての仕事でほんとに苦労しました。
そんな自分がヨーロッパでも何とか仕事ができるようになるキッカケをつくってくれたのはアテネのスリです。
もし、アテネで財布のスリにあってなかったら、今の自分はなかったと心の底から思います。だから、財布をすってくれた泥棒は自分にとっては神のお告げを知らせに来た何かの使いだったような気さえします。
それは、赴任して1年半経った夏の旅行の最終日の1日前に起きました。
ようやく英語もある程度できるようになり、仕事も生活もなんとか問題なく過ごせるようになっていました。そして、そのアテネへの旅行は初めて旅行代理店に頼まずに自分ですべて手配した旅行でした。
地下鉄のドアが閉まる寸前、スリの手が自分のズボンのポケットに忍び込み、気がついたときにはドアが閉まり、スリはホームの中に消えていました。
初めて犯罪に直接巻き込まれたこと、その財布にはほとんど全ての貴重品が入っていたことで、ただただ呆然とし、少し震えました。
すられるはずはないと思っていました。そんなすきだらけの人間ではない。
ヨーロッパに暮らして1年半も経っているし、日本人観光客には見えるはずがない、そう思っていたんです。
しかし、見事にすられた。
警察に届け出て、カードを止めて、保険の申請をし、実害はほぼなくて済みました。
そうして落ち着いてきたときにふと気づいたんです。
スリから見れば、結局自分は日本人観光客に見えたんだと。
そして、自分の1年半の仕事を振り返ったとき、仕事でも自分は何か観光客のような振るまいをずっとしていたということを。
赴任前教育は、リスク低減のために、やたらにおどします。
異文化コミュニケーションと銘打って、外国の風習、文化は違う。人前で大きな声でおこってはいけない。そういうときは別室で1対1でやれ。
叱るよりほめなければいけない。腕を組んだら怒っていると思われるからやめたほうがいい、等々。
また、海外の人材育成のために、海外の人たちを立てなければいけない、日本人があんまりでしゃばってもいけないとも言われました。
そんな教育もあり、所詮3年間の仮の宿という思いもあり、ヨーロッパにはヨーロッパのやり方がある、日本でやってきたやり方を押し付けてはいけない、海外の人たちのやり方をたてなければいけない、そんな気持ちになっていました。
それに加えて、英語がわからない。言っていることがきちんと聞き取れないまま、きっとこう言っているのだろう、みんなOKと言っているのだからそれでいいだろうと思って、結局、自分の意見を言わずに済ましていました。
本来ならば、こうすべきだと思ったことがあっても、大事にいたらないと思えば、だまって見ていました。
そう、見ていたんです。
目の前のヨーロッパの人たち、仕事を見ていたんです。観光客みたいに。
へー、こういう仕事の仕方をするんだ、日本とは違うなー、面白いなー、だめだなーとか感想を持ちながら、ただ目の間をとおり過ぎる景色を見ていた。
これじゃ、オフィスの中の観光客じゃないか。
スリに観光客に見えたのも当たり前だ。
それから、仕事のスタンスをガラリと変えました。
自分がおかしいと思うことはおかしいという、仕事としてやるべきことは叱ってでもやってもらう、やらないときは自分で手本を示す、わからないときはしっかり聞く、とにかく目の前をとおり過ぎていくことを過ぎていくままにするのは一切やめました。
それからです。本当の意味で、ぼくが海外で仕事をするようになったのは。
結局、自分は自分、仕事は仕事、国に関係なく、自分が正しいと思うことを言う、行動する、それで何か問題が出たら、そこで直す、必要だったらあやまる、そうするしかなかったんです。
そうやってぶつかりながら、自分はグローバルになり始め、いろんなことがわかり始め、何より、ヨーロッパの人たちと仲良くなっていきました。
アテネのスリに感謝。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt