ヨーロッパで担当していた経営企画という仕事は難しい仕事でした。
グローバル化が進んで、日本の本社のサポートをできるだけうけずに、地域の力だけで事業をできるようにすることがミッションでした。
当時のヨーロッパには、開発、生産技術、製造、調達、販売と自動車製造業に必要な機能はすべてそろっていました。しかし、それぞれ、特に開発や生産技術といった技術面では、まだまだ本社のサポートなしでは仕事がやれない状況でした。
それでも、自分たちの身の丈に合わせて、例えば、車のマイナーチェンジをヨーロッパだけでやれるようになることが求められていたわけです。
そのどこが難しかったのか?
当時、それぞれの機能のトップは日本人でしたが、その日本人を評価していたのは、トヨタモーターヨーロッパの社長ではなく、日本の本社の役員でした。
しかも、それぞれの機能は本社から各々のミッションを受けていました。
そこに、ヨーロッパの社長サポート部署として、地域で力あわせてやりましょうという話をしに行ったところで、
各々の機能のトップは、「俺の上司は本社の役員だ。ここの社長じゃない。本社から言われてることで忙しい」と言って全く取り合ってくれません。
そんな中、どうやって自分のいうことを聞いてもらえばいいのか?取り合ってくれなくても、何度も話をしにいって、どうしたら地域で自立的に一緒に取り組めるのかを聞きに行きました。
そんなことを続けていると、とにかくその人たちと、話ができる関係ができていきます。そのうち、頼まれごとをされるようになりました。
日常の仕事をするなかで、他の機能の協力が必要なことは必ずあります。でも、各々、親分は本社だと思っている人の寄り合い所帯だったため、お互いのことをあまり知りません。
だから、他の機能にお願いごとをしなければいけなくなると、僕を呼んで、「こういうことをしたいのだが、誰に頼めばいいかもわからないので、お前言っておいてくれ」てな感じで仲立ちを頼まれるようになったわけです。
そうやって、オフィスで仲の悪い機能の間を行ったり来たりしていると、
こりゃ、薩摩と長州を行き来していた坂本龍馬みたいだなぁ〜
そして、
これって人間グーグルみたいだな〜
と思いました。
グーグルの検索ボックスに言葉を入れるみたいに、言葉を言う。「〜がしたい」
すると、それをするのに必要な人を知っていて、その人のところに行って、話をつなぐ。
結局、あの頃、坂本龍馬かやっていたことの価値って、そういうことで、それは何か新しくて難しいことをするときに、とても大事なことなんだと思いました。
そう思うようになると、難しい仕事が面白くなってきます。
各機能に対する貸しも少しずつふえていき、みんなも本音で教えてくれたり、困りごとを相談してくれたり、情報も増えていきました。すると、その中からみんなが一緒にチャレンジできる具体的なプロジェクトが見つかりました。
抽象的に地域で自立化しましょうと呼びかけても、動かなかった人も、具体的なプロジェクトとなると、一生懸命やってくれるようになりました。
その時、力をあわせて何かを変える、新しく始めるには、人間グーグルと具体的なプロジェクトが何より必要なことを痛感しました。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt