カルロスゴーンは捕まってしまいましたが、グローバル経営者として、大変優秀な人であることは間違いありません。その彼の言葉で
という言葉があります。
グローバルの考え方として、たいへん的を得た言葉だと思います。そのことをヨーロッパで働くことを通じて痛感しました。これまで書いてきたとおり、
グローバルとは「違うことを前提に仕事をする」という価値観をもつことがスタートです。
それは、違うことが怖い日本人にとって難しいことです。
江戸時代の村八分の影響かもしれませんが、日本人は仲間はずれにされることをとてもこわがります。
そして、日本人には黒船襲来以来、欧米コンプレックスがあります。
「ものぐさ精神分析」で、岸田教授が書かれているとおり、あの時、日本は欧米にはかなわない。だから戦うことをさけて、不平等条約を結び、自らのアイデンティティであったちょんまげを自ら進んで切り、日本の誇りを封印して外国文化をとにかく輸入しました。
そして、封印された誇りは、第二次世界大戦という形で暴発し、決定的にたたきつぶされて、再び欧米追従の政治が始まり今に至っています。
欧米の人たちを理解不能の違う人たちとして理解することをやめては、コンプレックスは消えません。
違いを優劣や理解不能なものとしてではなく、そのまま違いとしてあるがままに認識する必要があります。
しかし、困ったことに、正しく理解する、考えるための最も本質的なツールである言葉がまるで違います。
これも前に書きましたが、話すときに、日本人が常に私は、とか、私がと言って話したら、きっと考え方や価値観はまるで変わると思います。
だから、正しく認識するには、正しく言葉を理解できるようにならなければなりません。
でも、それは、日本人にとって長い道のりです。
同じことを前提にしたグローバル化は侵略です。
それは、必ず失敗することは歴史が示しています。
日本人が日本をもっと知り自信と誇りをもつこと。
それをグローバルにしっかり発信すること。
違うことにコンプレックスを持たず、違いから学び合うこと。そして、お互いに成長しリスペクトすること。
そう書くと難しそうですが、みんな、外国人の友達とは自然にそうしてるんですよね。
そして、それはいいチームをつくったり、仲間といい仕事をしたり、いいマネジメントをするために必要なことでもあると思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt