明日つぶれるかもしれないという恐怖心でベンチャーの方は働いているという話をしました。でも、大きな会社に勤めていると、そもそもつぶれるということがどんなに大変なことかがわかりません。
だから、つぶれるということはどういうことかを少しは知っています。
それはそれは大変なことです。
その構造改革による痛みとはどういうものだったのか?
当時、バブル崩壊で銀行の不良債権が問題になっていました。銀行のお金が回収できない企業に貸されているため、新しい成長企業にお金が回らない。だから、お金を返す能力のない企業に貸すのはやめて、新しい成長企業に貸せるようにしなければならない。それが構造改革の一つでした。経済学としては正しい。
糸染め工場は借りているお金でなんとかやりくりしていましたが、繊維の下請けに成長は望めません。いずれはたたむことになるかもしれない商売です。そういう商売にはお金を貸してはダメという格付けが行われました。そして、
ある日突然取引銀行からもうお金は貸せないと言われたわけです。
突然お金を返せと言われても返すことはできません。会社はつぶれました。
雨の日にお父さんが土下座するシーンでした。僕の父がどうだったかはわかりません。ドラマとは違うので雨も降ってないし、土下座もしていないと思いますが、心境は同じだったんだろうと思います。
会社がつぶれると、会社の代表権のある役員は個人保証をしていますので、自己破産することになります。
そして、会社がつぶれるということは社員の生活が不安定になりますし、お金を借りている人、支払いを待っている人に対して、お金を払わないことになります。
単に自己破産するだけでなく、そうした人たちへの罪悪感はとても大きい。世間様に顔向けできない気持ちになって、外に出られなくなります。
父はただただ真面目に毎日働き、お金を節約して、子供をいい大学、いい会社にいれてくれました。何も悪いことはしていないのに、普通の楽しい老後を送ることはできませんでした。
会社がつぶれるとはそういうことです。そのことを痛みと呼んだ当時の政策は、理屈ではわかっても感情では納得できません。
明日つぶれるかもしれないという恐怖心とは、そういうものです。そのリアリティを感じて、まさに火事場の馬鹿力も出して、生き抜こうとするのがベンチャーです。
こうした人たちに勝つのは並大抵のことではありません。
新しい勝負は、昔から、どんな勝負も生きるか死ぬかの真剣勝負です。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt