小さい頃、父親とはすごく仲が良く、父親のことが大好きでした。進学校に入学を目指した受験勉強にも、父親は毎日つきそってくれました。それがなかったら、合格はしていなかったと思います。
ところが、
中学生になって、大好きな父親がイヤになり始めました。典型的な反抗期です。
仲が良かったから、父はいろいろ細かいことまで口を出しました。たとえば、髪型。ちゃんと刈り上げないと注意されました。
それが
中学生になり、少し大人に近づいて、干渉されるのがとにかくイヤになってしまったのです。
そして、ある日、とても些細なことで言い合いになりました。
その頃、二人とも大の巨人ファン。一緒に巨人戦をテレビで見ていたのですが、当時の巨人の一番バッターは盗塁王柴田。いつも片手に赤手ぶくろをしていて、赤手ぶくろの柴田と呼ばれていました。
その柴田選手の赤手ぶくろは右手にしているのか、左手にしているのかで言い合いになったのです。
今から考えれば、どうでもいいことですが、その時はお互いゆずらず、右手だ!いや、左手だ!と言い合いが続きました。
最後は、
こんな頑固な人とはしゃべってられない!
そう言って、けんか別れ。
なんとその時から高校を卒業するまで、父親とほぼ口をきくことがなくなりました。
ひどいことをしたと思います。その頃の写真を見ると、やはりちょっと顔が暗いというか、あんまりいい顔つきをしてなかったなぁ〜と思います。
でも、そのおかげで、自立心の強い人間になれた気がしていて、父親には感謝しています。
仲直りのキッカケはタバコです。
高校を卒業する頃から、隠れてタバコを吸っていました。僕がバレていないと思ってるだけで、においがついていますから、当然バレていました。
ある日、家を掃除していると、菊の御紋のはいった缶入りのタバコが出てきました。
おじいちゃんが長く西陣の糸染め工場をしていたことが認められて、勲章をもらっていました。そのタバコは勲章をもらった時に、いただいたものでした。
そのタバコを見つけた父親が僕を呼んでいいました。
吸うか?
頭を刈り上げないと怒るようなルールには厳しい人だったのに、まだ法律ではタバコをすってはいけない自分にタバコをすすめてくれたのです。
それが仲直りというか、また口をきくようになったキッカケです。
結局、ひとりの大人としてみてもらいたかったんだろうと思います。
いい父親とは、子供があんな風になろう、のりこえようと思われるような人のことだと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt