以前、日本で有数の料亭「吉兆」の店主の方から、おもてなしの話をうかがうことができました。
究極のおもてなしというと、相手にとことんつくすことだと思いがちですが、そうではないそうです。
人は、とことんつくされるとそれが当たり前になってありがたく思わなくなったり、場合によってはかえってわずらわしくなることもあるといいます。自分もていねいすぎる対応をされて、自分が少しえらそうになってしまい、ちょっとしたことでも腹がたつ、結果、なんだか後味が悪くなってしまった経験があります。
では、究極のおもてなしとは何なのか?
それは、相手と心のやりとりをすること。自分のことをわかってもらっている、相手のこともわかっている、そういう気持ちを作ること
なんだそうです。
そして、そのことを極めたのが茶道だといいます。
茶道の作法はとても形式的で心がこもらない儀式のように思っていましたが、実は
心のやりとりを作り出すために合理的に考えられた所作
だといいます。
決められた作法の中で、相手によってワンポイント変える
温度、量、泡立てる量、いける花、おかし、香り。決まりきった所作の中にワンポイント変化があることで、もてなす側がその人のことをわかっているということをとても伝えやすく、お客様も感じやすい。そう教えてもらいました。
そして、そのワンポイントメッセージを的確にだせるように、吉兆さんでは、来られたお客様のことをお店ぐるみでよく観察して、その時言ったこと、残した料理など、気がついたことを記録として残すことをしているそうです。
昨日は好きになるために、好きになってもらうためには告白が必要なことを書きました。
そして、好き同士になってからずっと好き同士でいるために必要なこと、好きになったお店にまた来たいと思われるために必要なこと、それは究極のおもてなしではないかと思います。
以前書いたように、それは、
生きているだけでいいと思うこと、思われること。
そう思えるくらいお互いのことをいいところも悪いところもぜんぶ知ること、受け入れること。
そうなったとき、繰り返される日常の中に、そう思っていること、思われていることがにじみ出る。
それを限られた時間や、お店で食事をしている時に凝縮して表現することが、茶道や高級料亭の究極のおもてなし。
それを長いお付き合いの中で表現するのが、クルマのお客様との絆づくり。
それを一生かけてするのが、いい夫婦。いい家族。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt