昔みたいに厳しく指導したいのに、あるいは、明確にやるべきことを示してやり切らせたいのに、最近の若い人は打たれ弱く、強くリードするとパワハラと思われないか?心配に感じる方も多いと思います。
昨日は、そんな若い人がなぜメンタルになりやすいのか?そんな若い人に何を言えばいいのかを書きました。今日は、言わなければいけないことをどう言えばいいのかについて書きたいと思います。
体罰は別にして、
すごく厳しく指導しても、同じ言葉を使っても、パワハラになる人とならない人がいます。
なんなら、厳しく指導してもパワハラにならない人は、逆にとても慕われていることが多い。
いったいどこに違いがあるのか?
たくさんの人をみてきて、気づいたことがあります。それは、
こんな仕事をしたら、俺の評価が落ちるとか、上司の期待に応えられないとか、そんなことを思って怒るとパワハラ。
こんな仕事をしたら、あなたが成長できないよとか、信頼されなくなるよと思って怒るとパワハラにはならない
むしろ、明確にやることをやり切らせた結果、ちゃんと本人が頑張った甲斐があったと実感することができれば、それは必ず感謝になります。
でも、ならないのは子供に対して愛情があって、子供の将来のためにおこっているからです。
相手のために怒るには、そこまでの愛情が必要ということかもしれません。
ちなみに、子供が一番嫌いな怒られ方は、「恥ずかしいからやめなさい」だそうです。
これなんか、親が自分が恥ずかしいからやめなさいと怒ってるわけですから、まさしく自分のためにおこっている。
パワハラになるのが怖い人は結局、部下への愛情が足らないのだと思います。
それと、もう一つ、これをやったらパワハラになるということがあります。
飲んだ時に説教したり、指導したりすると、パワハラになることが多い。
厳しい上司が飲みに誘ってくれる。最初のうちは楽しくやって、部下も心を許します。その心がゆるんだ時に説教すると、めちゃくちゃこたえるんだそうです。そうなると、気持ちを通わすために誘ったことが逆効果になってしまいます。
そもそも、アルコールが入るといいのは、自分を抑えているものが弱くなって、本音で話せること。パワハラになりやすい人は、自分のためにおこる人ですから、アルコールが入ると、自分のことが出てしまいがちになります。
アルコールもまた、相手の本音を聞くために、つまり相手のために使わなくては意味がありません。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt