レクサスは日本人がつくったから唯一無二になる。という話を聞いたということを書きました。
ということは、
レクサスのなかには日本がある
ということになります。
その一つがレクサスのデザインです。
レクサスのデザインは素晴らしいと思います。ドイツの高級ブランドと比べても、好き嫌いはありますが、デザインは対等かそれ以上、唯一無二。
とりわけ内装でその特徴がわかります。
レクサスのデザインは、左右対称ではありません。
そこにどんな人がすわるのかを考えて、その人にあわせた
空間、間をどうデザインするかを考えます。
では、空間や間をデザインするとはどういうことか?
たとえば、床の間の棚。床の間の棚は端から端まで棚をつくらず、上下互い違いに棚をつくります。棚をあえて途中までにして、上下を互い違いにおくことで、人は空間の拡がりを感じることができます。
欧米のインテリアではこういうことはまずしません。まるで空間を塗りつぶすように、棚を端から端まで、機能的に幾何学的につくります。
そして、庭園のちがい。
日本庭園は自然の縮図を小さな空間に表現しようとします。いいお庭になると、さまざまな木や石や水が絶妙のバランスで置かれ、人がつくったものなのに、自然とその拡がりを感じることができます。
対して、西洋の庭園は、花壇などを空間をつぶすように幾何学的にならべていきます。
これと同じ違いがレクサスとドイツブランドのインテリアの違いにはあるのです。
それぞれの内装を見比べれば一目瞭然、
レクサスには曲線が多く、左右対象ではないのに対し、
ドイツ車は直線が多くて幾何学的。
なぜこんな違いがうまれたのか?
日本はせまい国なので、せまい中でどう広さを感じられるようにするかと知恵を絞ったのかもしれません。
あるいは、昔書きましたが、自然に対する感じ方がぜんぜん違うからかもしれません。
日本人は自然にほんろうされて生きていますので、自然に対するおそれや信仰がありますが、西洋人は科学の力で自然をコントロールできると感じて生きています。
だから、
日本人は自然をそのままデザインしようとするけど、西洋人は自然を動かす科学をデザインしようとするのかもしれません。
そうした間のデザインがあると知ると、
日本の文化には間を大切にしたものが多いことに気づきます。
たとえば、音楽。和楽の打楽器であるつづみはリズムを刻むというよりは、よーっボンという音の後の沈黙を聴かすようにひびきます。
たとえば、漫才。ボケとツッコミが面白くなるかならないかは間の良し悪しで決まります。
何もない部分が「ある」ことをつくり、活かすという価値観。「ある」ことばかりに注目するのではなく、ないことに注目する。表ばかり見ずに、裏も見る。
「もちつもたれつ」そんな感じが、自分自身が日本人だからかもしれませんが、とても好きです。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt