ラグジュアリーってムダだなぁと思います。
昔、販売店の代表者の方が、商売の本質は上手にムダをつくることだと教えてくれた話を書きました。
商売の本質とは、人の印象に残るようにすること、そうしなければ覚えてもらえないし、好きになってもらえない。好きになってもらえなければ、買ってもらえません。では、人の印象に残ることとは何か?それはムダだという話です。
ラグジュアリーブランドもまた、人の記憶に残り、好きになってもらわなければいけません。だから、
ラグジュアリーには、人の記憶に残るようなムダや過剰な何かが普通の商売よりもっと必要です。
でも、ただラグジュアリーなムダは、記憶に残るだけでは足らない。
あこがれられるような、カッコいいムダでないといけません。
では、どんなムダが人の心を動かし、あこがれられるのか?
昔、とあるリゾートのコテージのテラスで日向ぼっこをしていた時、とても満たされた気持ちになりました。
そのリゾートは森の奥深いところにありました。森に囲まれながら、空を見て、鳥の声を聞いていると、まるで、その空間が現実から切り離された完璧な別世界に感じられました。
壷中の天という言葉がありますが、まさしく壷中の天とは、この青空のような天なんだろうなぁと思ったことを覚えています。
作り物でありながら、詳細にいたるまで完璧に作り上げれば、それは完璧な世界に変わる。
ディズニーランドもショッピングアーケードのお店の看板や窓に書かれている言葉にまでこだわって世界観をつくっているそうです。
逆に、ちょっとでも現実を思い出すようなことがあれば、その完璧さはあっという間に崩れます。
温泉の露天風呂で青いゴムのホースなんかが目に入った時はほんとうに幻滅します。特にそれが高級旅館ともなるとなおさらです。
だから、
ラグジュアリーは、どんな小さなことにも妥協せず、自分の信じる価値観や美意識を目に入ってくる景色はもちろん、香り、音、触感など人の五感すべてにつらぬく必要があります。
ラグジュアリーを勉強しようと、いろいろ高級ホテルのロビーに行きましたが、その玄関をくぐった時、光の照明、調度品、アロマの香り、環境音楽など、すべてにこだわりを感じることができました。街中からドアを開けた瞬間に別世界に入る、そんな魔法にかかったような感覚を感じます。
そうした時、
ムダや過剰は人をひきつけ、あこがれられる価値に変わるのだと思います。
でも、本来必要のないムダなことをそこまでつらぬくってとっても難しい。難しいことだから、人はそれに何かを見いだして、あこがれるんだと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt