キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

竜安寺の石庭は何を伝えたいのか?

竜安寺の石庭が大好きです。
 
竜安寺の石庭は日本を代表する枯山水の庭です。枯山水とは、禅の庭で白い砂利と石だけでつくる庭のことです。
 
この石庭は、幅 22 メートル、 奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、はき目を付け、15個の石を一見無造作に5 か所、点在させただけのシンプルな庭です。
 
では、この庭は何を表しているのか?
これが諸説入り乱れて面白い。
 

f:id:y314t923:20190628075906j:plain

 
白砂は海を、石が島を表しているという人、
 
白砂は雲で、石は雲海から頂きを出す山だという人、
 
石は池の上を歩いたトラの足跡だという人、
 
石の配置を図って、モナリザと同じ究極の幾何の配置になっているという人、
 
15個の石を全部一度に見ようと思っても、必ず1つ見えない石があり、世の中の不完全さを表しているという人。
 
さて、どの説が正解か?
 
でも、子供がまっさらな目でこのシンプルな庭を見れば、こういうに違いありません。
 
ただの石だ!
 
そうです。素直に見れば、ただの石。一見無造作に置いているのではなく、本当に無造作に置いているだけの石だと思います。
 
つまり、意味なんか何もない。
 
でも、人間はただ無意味であるということに耐えることができなくて、何とか意味を見出そうとします。結果、たくさんの諸説が生まれるわけです。
 
結局、世の中の常識やその時代の善悪だって、石庭を見て各々が勝手に見つける諸説と変わりない。実際は、何の根拠もないただの石みたいなものではないか。
 
そうこの石庭は見る人にそう問いかけます。
 
これは、般若心経で有名な色即是空、空即是色の考え方です。
 
色とは実態であり、空とはカラ、無のこと。実態は即ち無、無は即ち実態という意味なのですが、これは、あらゆる実態も時と共にいずれなくなるという意味ではなく、石庭が示すように、実態と思っているものもただの石、ただの石も見方によって実態を表すという意味なのだと思います。
 
しかし、そうなると、世の中は全部無意味で信じられるもの、正しいものは何ひとつないということになり、それはそれでつらい。
 
だから、人は何とか意味を見出そうとするわけですが、逆に、ただの石であれば、各々の人がどう解釈しようと自由であり、解釈は全て正しいということになります。
 
自分が正しいと信じてつらぬくだけで、他を否定することなく、それは正しい。
 
自分か正しいか、生きている意味があるのか悩んだり、争ったりすることがいかに馬鹿馬鹿しいことか。昨日書いたみたいに、自分の過去の記憶ですら、今にあわせて思い出しているもので、事実とはちがう。
 
そのことにはっと気づかせてくれるのが、この石庭です。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt