関ヶ原の古戦場に職場の仲間と行きました。
実際に戦場に行って、誰がどこに陣取ったのか、それぞれの軍の規模はどれくらいだったかを知ると、いかにこれが仕組まれた戦いで、一見、西軍が有利に見えるものの、あらかじめ寝返りが仕組まれていたことを考えると、全く形勢が逆転、
戦う前から勝負は決まっていた出来レースだったことを実感しました。
これが関ヶ原合戦の陣形です。
一見、西軍が東軍を取り囲むように陣取っており、東軍は袋のネズミにみえます。
ところが、小早川秀秋は寝返る。毛利は動かないのでいないのと一緒。となると、今度は西軍が取り囲まれることになる。

まさしく、そういう場所に石田三成はおびき出されたわけです。
その義を重んじる姿は、後年たいへん敬われたようです。
大谷吉継のお墓には、新しいお花がお供えされていました。
今もそんな風にお花が供えられるくらい義を重んじ、義に殉じた人間に想いを寄せるというのは、日本人らしいこと、侍の心なのかもしれません。
確かにそこには我が身も惜しまない美しさがあります。でも、それと同時にずいぶん罪深いことだとも思いました。
なぜなら、諸説ありますが、この戦いでの死者は3万とも4万とも言われています。大将が個人的な義を果たすために負けるとわかっている戦いに挑んだことでたくさんの人が死んだわけです。
本人が義に死ぬのはいいけれど、はたして前線で戦い死んでいった多くの兵士も同じ気持ちだったのか?
もし同じ気持ちでない多くの人が巻き込まれたのだとしたら、それはずいぶん罪深いことだなぁとも思いました。
今の世の中、特に日本において命をかける戦いというものはありません。ただ、
会社もリーダーのもと社員があつまる組織です。リーダーの決断によって社員は動きます。そのリーダーが情勢判断をあやまり、上を見て違うと思っていても、義によって部下がとる行動を決めたらどうなるのか?
戦いではないから死ぬことはない。でも、その行動は成果を生まない。無駄骨になる。そして、そのことはその部下の心を傷つける。命はなくならないが、やる気は死ぬ。
戦いもビジネスもリーダーの役割、責任はおもい。
関ヶ原の戦場を歩いて、そんなことを思いました。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt