キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

「いまここ」に真剣に生きる フロイト、ラカン、嫌われる勇気

精神分析学には一時期はまって、いろいろ読みました。
 
以前、書いた岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」もそのうちの一冊です。
 
キッカケは子供ができたことでした。
 
もともと精神分析とか心理学には興味があったのですが、子育てをする立場になって、ちゃんとなにか勉強したいなと思い、読んでみたらハマったというわけです。
 

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最初によんだのは、精神分析を発明したフロイトです。
 
言い間違いや忘れものをしてしまうのはなぜかを考えて、それは人の奥底に意識できていない無意識の自分がいるからだ。
 
そう考えて、自我や無意識を発見していくくだりはまるで推理小説のよう。おもしろかったし、感心もしました。
 
そして、無意識はだいたい人の記憶のない子供の頃にできている。生まれてから、意識や記憶がしっかりするまでの間、いったい赤ちゃんや子供になにがおきているのか、その結果、どう無意識ができていくのかを解説していきます。
 
それほんと?というところもありますが、たしかにと思うことはたくさんあって、子供に接するうえで、とても役立ちました。
 
次によんだのは、ラカンです。
 
よんだといってもラカン自身が書いた本ではありません。それはむずかしすぎてわかりません。
 
ラカン精神分析」という新書を読んだのですが、新書でも結構むずかしい。でも、これがおもしろかった。
ラカンの精神分析 (講談社現代新書)

ラカンの精神分析 (講談社現代新書)

 

 

人は生まれてきたとき、まだ神経がちゃんとつながっていなくて、自分がどんな体をしているのかわからない。
 
赤ちゃんが自分がだっこされている姿を鏡でみるととても喜ぶのは、赤ちゃんが鏡を見て、親と同じ姿かたちをしているのを見て安心するから。
 
その時から、ひとは自分がまわりと同じ人間であること、まわりの役に立っていることを確認して生きる動物になった
 
そうラカンは言います。
 
自分自身の欲望も他人の欲望。他人が生きている姿を見てあんな風に自分もなりたいと思って、自分の欲望はできる。
 
大人になっても、ひとが自分といるときに、自分をみる表情や自分に話しかける言葉を鏡みたいにして確認して生きている。
 
そのことに不安を感じるとき、人は他人の自分へのまなざしが気になる。
 
こうしたラカンの考え方か、当時すごくしっくりきました。だから、いつも自分のまわりの人たちが楽しそうにしてるのを見たくて、自分は頑張ってきたように思います。
 
それでも、
 
それは人の目を気にして生きるみたいでちょっとつらいところもある。
 
最近、出版され、ベストセラーになった「嫌われる勇気」という本は、そこんところを楽にしてくれました。 
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

アドラー心理学をわかりやすく書いてある本なのですが、その中で印象に残っているフレーズが
 
人生は過去の経験で決まるのではない。自らさだめた目的で決まる。
 
水分をとらせたい馬を水飲み場までひいていくのが自分のできること。そこで水を飲むかどうかは馬が決めること。
 
自分をありのままに受け入れ、他人を無条件に信頼する
 
いま、ここだけを真剣に生きる
 
子供の頃の経験でできた無意識をのりこえ、人の目を確認しながら生きることを止めるために、いまここを真剣に、自分のさだめた目的に向けて、自分のできることをする。できることをするしかない。
 
そうわりきってしまうことは、なんだか自分の力に対するあきらめのようにも聞こえますが、そうした健全なあきらめをもって、行動をおこす。それがこれからどうなるのかわからない、変化のはげしい時代のあるべき生き方のように思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt