音楽だけでなく、絵も好きです。特に印象派以降の画家が大好きです。
ヨーロッパで働いていたときには、モネとセザンヌのかいた絵の景色をめぐる旅行もしました。ニューヨーク近代美術館に行ったときは、大きなジャクソンポロックの絵の前で、まるで竜安寺の石庭を観るような気分でぼーっとながめていました。
以前書いたように、絵画のおもしろさの1つは、その時代時代の価値観をあらわしていることだと思います。
でも、この3人が特に好きな理由は別にあります。
好きなところは、3人とも「いまここ」を描いた画家だと思うからです。
昨日、嫌われる勇気の話をしました。メッセージは「いまここを生きるしかない」です。3人は「いまここ」を見事にきりとって絵にしていると思います。
モネが一貫した描いたのは「いまここ」の光です。
一瞬一瞬、うつりかわる光をえがく。瞬間のかがやき、影、そこにはうつりかわる「いまここ」がある。彼が描いたルーアン大聖堂の絵は、同じ聖堂の朝、昼、夕方を描いていて、うつりかわる光の「いまここ」を描いていたことがよくわかります。
その一つ一つが美しいから、そして、一瞬のうちにその景色はなくなるから、「いまここ」を大切に、感謝して、味わって生きなきゃなって気持ちになります。
セザンヌが描いたのは「いまここ」の存在の力ではないかと思います。
彼は友人に静物画で絵の世界を変えると言っていたそうです。彼の静物画の特徴は、一見、何の変哲もない絵なのですが、よく見ると、リンゴやテーブルクロスのすべての面が展開図のように平面上に描かれている。変わったことをやっているのに違和感なく描ききっているのがすばらしい。しかも、筆のタッチが太くて力強い。
彼はじっと動かないリンゴなどのものに秘められた力を、「いまここ」にあるということの力を絵にしたかったんではないか?そう思ってみると、「いまここ」にある自分にもそんな力が秘められている。そんな気がして、なんだかおだやかな元気がわいています。
そして、ジャクソンポロック。彼が描いたのは「いまここ」の自分の思いです。
アクションペインティングという彼があみだした技法で、彼は彼が「いまここ」で彼が思う何かをキャンバスに描きました。
アクションペインティングというのは大きなキャンバスの上に、本能がおもむくままに、絵の具を動きながらたらすだけ。思いのままにたらすのだから、そこに描かれたものは自分の思いそのものということになります。
描かれた絵は、何の意味も見いだせないただの落書きのようですが、それが人間の心の中ということもできるかもしれません。そんな心に自らの意志で、選択で、意味を見いだして生きる。彼の絵を見ながら、そんなことを考えるのが好きです。
実は、3人の中で、ジャクソンポロックだけが自殺をしています。見つめる「いまここ」が自分の中だったポロックと、自分が見つめる景色や存在だったモネとセザンヌ。人間って、間の人だから、外との関係性を見失うとつらくなるんだなとも思います。
必ず学べることはある。
学んだことは次の人にわたす。
Everything is beautiful, nothing hurt