キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

生きるということは、何かを殺すということ。

屋久島にいったときに思ったことです。
 
江戸時代、屋久島の杉の約7割が切られてしまいました。お米の取れない屋久島では、お米の代わりに、木を薩摩藩へ年貢として納めていたからです。
 
300年から500年というすごい長い時間をかけて生きて育った樹齢500年の木の命をバッサバッサと切ったわけです。
 

f:id:y314t923:20190823075828j:plain

 
木は声を出すことはできないし、血も流さないから、殺しているという感覚はないけれど、それはやっぱり殺している。
 
江戸時代の人たちも、木を切るとタタリがあると思っていたのですが、そこに一人のお坊さんがあらわれます。斧を木に立てかけて、一晩たっても斧が倒れてなかったら、その木に神様はやどってないから、切っても大丈夫だと教えたそうです。
 
お坊さんがタタリがあるかどうかを確かめる方法を考えついたおかげで、屋久島の人たちは安心してドンドン木を切るようになりました。
 
そのお坊さんは島の人たちから、聖人とあがめられているそうです。
 
お坊さんが命を絶つことをたやすくしたというのもとんでもないお坊さんだなぁとも思いました。
 
でも、それで島の人たちは木を売ったお金で豊かになり、米の取れない島で飢えで死ぬ人がいなくなりました。
 
死ぬ人がいなくなった。つまり。お坊さんは島の人たちの命を救ったわけですから、尊敬されるのは当たり前です。
 
人に限らず、生き物は食べないと死んでしまう。食べるためには殺さなければいけない。誰かの命のおかげで生きられる。
 

f:id:y314t923:20190823075911j:plain

 
屋久島の杉を切るときは、しめ繩をして、お祈りをして切っていたそうです。
 
猟師さんは、生き物をしとめて、その生き物をとるとき、やはりお祈りをします。
 
そうやって殺している人は、自分がそのおかげで生きられることを実感できますが、街に暮らす多くの人は、それを実感することは難しい。お金で買っていると思っています。
 
誰かの命のおかげで生きられるということを実感できれば、何のために生きているのかとか、人にどう思われているのかとか、そんなことに思い悩まず、生きていることに感謝して時を過ごせるように思います。
 
馬のようになった牛がいるということは、人間がないと思ってる意志が動物にもあるということ。意志があるということは気持ちや悩みもある。
 
でも、動物には悩みがないようにみえるのは、動物はなにかを殺して生きている、自分も誰かが生きるために殺されるとつねに感じているからかもしれません。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt