キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

言葉にしないこと、できないことを、どれだけ感じることができるか。

言葉にしないこと、できないことと、何も言葉にすることがないということとはちがいます。
 
そう書くと、そんなこと知ってるよと言う人がほとんどだと思います。でも、
 
無意識のうちに、人は、言葉にしないことは、何も感じてたり、思ったりしていないことだと思ってしまう。
 
そのことを屋久島の杉や馬みたいな牛の話を書いていて、あらためて感じました。
 

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木は話さないし、声もださないから、何百年も生きてきた木を切っても、なんとも思わない。
 
牛もモォーとはなくけど、言葉は話さないし、表情もないから、平気で次から次へと妊娠させて、生まれた子牛と母牛は一緒に暮らさせず、母牛は縄でつないで牛乳をしぼる。
 
肉牛の場合は、おいしいものをたくさん食べさせて、毎日マッサージしてあげたあげくに、殺して食べる。
 
以前、宮崎県で狂牛病がはやって、牛を殺さなければいけなくなった時、
 
酪農家の方がインタビューに、かわいそうに人に食べてもらうことができなくて牛も無念だと思いますと答えて泣いていた
 
のをみて、不思議なことを言う人だなぁと思いました。
 
狂牛病で殺されるのも、肉牛として殺されるのも、牛にとってみたら一緒のはずです。
 
もし、木や牛が言葉を話すことができたら、号泣や悲鳴や叫びがすごいのではないか?
 
人間でいえば、まだ言葉が話せない赤ちゃんや子供がそうです。
 
言葉で話せないから、なんにも思ったり感じたりしないとおもっている大人、親がおおい。例えば、公園で一人で砂場で子供が遊んでいる。何を言わない。それを見て親は一人でおとなしく遊んでいるなと思ってみる。でも、実際はきっといろいろ感じている。その小さな子供は一人でさびしいなと思いながら遊んでいるのかもしれません。そのことを言おうと思っても、小さな子供はさびしいという言葉を知りません。
 
子供をほったらかしにしておいて、ちょっと間違ったり、悪いことをした時にそのことをものすごい勢いでおこる親を時々みかけますが、ひどい親だと思います。
 
その子供はさびしい、かまってほしいという気持ちでちょっと悪いことをしたのかもしれない。それをその行為だけをとりあげておこるなんて、どうかと思うのです。
 
人は言葉を発明することによって、世の中を飛躍的に進歩させました。でも、同時に言葉で判断しすぎていることも多いように思います。
 
言葉にしないこと、うまくできないことをどれだけ感じることができるか、見ることができるか。
 
そのことをしっかり考えることって、とても大事なことだと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt