キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去のトヨタでの出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

必死のコミュニケーションその5 言葉だけに頼らない。「あ研究家」ダウンタウンの漫才

ビートたけしさんのギャグの話を書きましたが、バラエティネタには、コミュニケーションの本質をとらえたものが多いと思います。それは、コミュニケーションの中でもっとも難しいことが人を笑わせることだからだと思います。今日はダウンタウンです。
 
ダウンタウンの漫才に「あ研究家」というネタがあります。
 
 
松本人志が「あ研究家」として登場。いろんな「あ」をやります。なるほど~なるほど~の「あ」おかしいぞ、おかしいぞ、でもあってるんだの「あ」、高いところから落ちているときの「あ」、何かを飲んだ時の「あ」
 
とってもおもしろいのですが、同時にとても深い。この漫才で、わかること。
 

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言葉は場面や言い方によって意味が変わる
 
言葉にすると、みんな「あ」なのに、場面、言い方で意味がまるでかわってしまいます。言葉の意味はひとつで、言葉を理解すれば意味は伝わるわけではありません。でも、おとなは、特に仕事になると、言葉で伝わると思ってしまう。
 
「好き」という言葉にも、親として好き、人として好き、友達として好き、恋人として好き、奥さんとして好き、ぜんぶ「好き」だけど、ぜんぶちがう。そして、恋人として好きになったことを伝えようと思うと、「好き」という一言をいうために、デートして、ロマンチックなシチュエーションをつくって、場面を考えて、その言葉を伝える。そのときは、ちょっと言葉につまったりして、その沈黙で伝わることもある。
 
ダウンタウンの漫才は「あ研究家」のあと、「み研究家」がでてきて、同じようなシチュエーションで「み」と松ちゃんが言うのですが、もはや「あ」が「み」に変わっても、意味は通じてしまう。
 
場面や言い方によって、言葉がちがっても意味は伝わる。
 
ってこともわかる。
 
そして現実は、さらに意味はつたわっても、言葉の意味の受け止め方は人によってちがう。
 
同じ言葉でも傷つく人と傷つかない人がいる。「ばか」とか「あほ」といった言葉が愛情表現になることもあれば、ほんとに相手を傷つけてしまうこともある。
 
もともと日本人は、場面によって物事を考える感性があると思います。それは、自分の呼び方が場面によってかわることでよくわかります。正式な場面ではわたくし、友達には僕、そのほかにも、わたし、わし、おれ、おれさま、じぶん…いろんな自分をあらわす言葉がありますが、これ、英語だと「I」だけです。
 
また、以心伝心なんて言葉がありますが、そもそも言葉をつかわずにつたわることがとてもいいことだと考えるところもある。
 
今の仕事、会社は欧米の影響をとても強くうけています。さらにグローバル化が進み、もともと日本人がもっていた感性のようなものがうすれてきている気もします。
 
言葉の不完全さと人を傷つけるコワさと常に感じて、その時、その場面の瞬間勝負だと思って話す、聞く。コミュニケーションとはそういうものだと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt