この前書いた料理やさんでしりあった犬の調教師さんがいます。
その調教師さんの話がとてもおもしろかったので、その話を書きたいと思います。
その方は、高校卒業して警察犬訓練では全国三本の指にはいる京都で9年修行されました。キッカケは高校の時バブルがはじけて、これからは手に職をと思い、動物好きだったので警察犬訓練士になろう、どうせなるなら一流のところで学ぼうということで京都で警察犬訓練の勉強をすることを選んだそうです。
はじめてみてわかったことは、訓練士は動物好きの人で動物さえ育てられれば、カスミを食って生きてもいいという人たちで、犬の訓練はあまりお金をもらえない職業になってしまっているということ。
それを変えるために、その方は独立して、昔からの人たちからは批判されたけど、がんばってなんとか自分で犬の学校をつくられたそうです。
でも、警察犬だけでは食えません。だから、家の犬の調教をはじめられました。
いぬの調教で大事なのは人が犬との関係のなかで学んでいけるようにすること。
だから、
いうことをきく犬、なつく犬はつくらない。
イギリスでは、子供が赤ん坊の時から犬を飼いなさいというそうです。
それは、動物に対するやさしさを学ぶためではありません。世の中には思ったようにはならないことがあることを学ぶためだそうです。
赤ちゃんのときは、犬が子守
幼児期では、犬は良き遊び相手
思春期は 犬は相談相手
自立期は 犬は死んで命の尊さを教える
人生の時期で犬との関係は変わっていきます。また、人それぞれ犬を飼う理由がちがいます。その人の理由にあわせた犬を調教しなければいけません。
年寄りの寂しさをまぎらわす犬。
子供の遊び相手の犬。
経営者の孤独をいやす犬。
犬だけでなく、犬の飼い主とも向き合い、どういう犬との接し方をするのかを考え、飼い主に犬の管理の仕方を教えることも大事なんだそうです。
たとえば、ちゃんと犬とつきあわないと犬が赤ちゃんをかんで殺すこともある。
大事なのは、パーソナルスペースをやぶらないこと。目をあわせてもダメ。特に、手に負えなくなった犬はそうなんだそうです。
また、おかしな家庭の犬はおかしくなる。犬が課題をくれる。それに向き合った家庭はいい家庭になるといいます。
自分は犬をかったことがありません。なので、犬なんてただのかわいがるだけのペットだと思っていました。でも、なかなかどうして犬とのつきあいも深い。昨日まで書いてきた人と人との関係と相通じるものがある。
人対人、人対犬、非対称性のなかに、むずかしさ、うれしさ、そして、学びがある。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt