この間ご紹介した日本辺境論という本に書いてあったはなしです。
日本という国は辺境にある資源のない国。
だから、外国につねに遅れている。外国のものがすばらしい、ただしいと考える。古くは中国、明治以降は欧米。それによって、二つの特徴、いい特徴と悪い特徴が生まれた。
いい特徴は学ぶ力。わけのわからないものでも、役に立つと感じてとりいれ、自らの力にすることができる力。
悪い特徴は虎の威を借る狐になること。
たとえば、テレビのワイドショーやニュースに出てくる専門家。彼らのほとんどは、自分自身の意見の正しさを自分自身の信念や考えで語ることはとても少ない。外国ではこれが普通だとか、すすんでいるとか、外国の権威によって語ることがおおい。
もうひとつ出てくる例が水戸黄門。
ただのおじいさんだと思っていた人が先の副将軍、水戸光圀公であることが、お付きの助さん角さんが見せる葵の御紋のはいった印籠でわかる。
この御紋が目に入らぬか〜!
冷静になってみれば、印籠なんて偽物をつくることは簡単。だからもし、おじいさん本人が印籠を見せたら、印籠の効果はない。
印籠を見て、悪者が恐れ入ってしまうのは、印籠を虎の威を借る狐である助さん角さんが見せるから。強そうな侍がおじいさんの部下でいることが権威の証明になっている。
水戸黄門がなぜこれほどの国民的ドラマになったのか?それはこうした構造がとても日本人的だからではないか?
その本にはそんなことが書いてありました。なるほどなぁ〜と思いました。
たしかに、今までの人生や日常に、虎の威を借る狐のような人はいました。普段はそうでない人も状況によってはそうなってしまう人もいる。
自分は昔父親に中2から高3まで反抗したみたいに、権力に対して反抗するところがあるし、キング牧師のように、権力とたたかい、弱い人を解放する話が好きです。そんな自分でも、
自分がすこし虎の威を借る狐になってしまうことはあったし、そのリスクは常にあると思います。
いろんな虎がいます。会社、上司、地位、親という立場、学歴。
自分が子育てで絶対つかわないと決めて、つかわなかった言葉があります。それは、
親の言うことを聞け。
言うことが正しいから聞けと言うのではなく、親という権力が言うのだからとにかく聞けというこの言葉。これはまさしく虎の威を借る狐の言葉のような気がします。
昨日、ほんとうの友だちの話を書きましたが、虎を頼っていては、ほんとうの友だちはできない。
虎に頼ることなく、自分の信じることをつくる。信じることを同じように信じる仲間を友だちをつくる。
そんな風にいられるように頑張りたいなと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt