人の気持ちがおれるときってあります。
もちろん自分にも経験があります。むかし、そのときのことを書きました。
人間は最終的にとことんのところ何を欲しているか。それは世に理解されることであり、世に認められることである。この場合、世間とは具体的に自分に指示を与える人であり、働きをともにする同僚である。この人たちから黙殺または軽蔑されるのは死ぬよりつらい。
こんな一節もあります。これは引用ではなく、自分がメモったノートに書いてあったことですが、
人間にはただひとつだけ、たえること不可能な悲哀がある。それは、つらいのをガマンしてやり通したことが無駄になってしまうことだ。
これは知り合いから聞いたはなしですが、
人はがんばれのひとことでこわれることだってある。
勉強ができていた息子の成績がおちてきたとき、父親が息子に「がんばれよ」と言ったら、そのひとことがキッカケになって、息子さんがぐれてしまったそうです。
息子さんはがんばっていた。でも、結果がでなかった。まさにつらいのをガマンして、やりとおして、結果がでなかったそのときに、結果だけで判断して、がんばれと言われてしまった。がんばれの言葉は息子さんにとっては、たえること不可能な悲哀だったのでしょう。
むかし、大好きな上司が言われた言葉でそのとおりだと思った言葉があります。
自分がOKした仕事は100%決裁でOKをとる。それが上司の責任だ。
すごく納得して、そのことをそれ以来自分のルールにしました。もし、自分にOKをとる自信がないときははっきりとそういうし、もし、OKがとれなかったらあやまるようにしています。
マザーテレサの言葉にはこんな言葉があります。
この世の最大の不幸は貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていないと感じることです。
人の気持ちは案外かんたんにおれてしまう。人が何にどれだけがんばっているのか?そのことにつねに敏感でありたいと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt