この前、レクサスの高級フロアマットをつくっている工場に行ってきました。
フロアマットというと、ほとんど機械でつくってると思いきや、たくさんの手仕事がありました。
まず、じゅうたんの生地を人が必要な大きさにカッターできる。
その次に切った生地を型できりぬく。
切りぬいた生地は端から、ほどけていくので切りぬいた生地のまわりをまつり縫いするのですが、その前に生地のまわりの毛を縫うときに巻き込まないように細くカットしていく
それが終わったら、まわりをミシンで人がぬう。
そのあとは、
フロアマットの毛を散髪するみたいに人がハサミで切って、かどをまるくととのえる。
フロアマットにひっつけるクルマの名前やブランドがかいてあるプレートは電子レンジと同じ機能をもったプレス機のようなものでプレートをあたためてくっつける。そこにはそんなちょっとしたテクノロジーもつかわれている。
ブランドや高級品はそのものがはたす役割以上のなにかを人にとどける。その何かに価値を感じて人はお金をはらう。
これから、AIが進歩して、人ができることをどんどん機械やコンピューターができるようになる時代、
AIの時代は、人のこだわり、人のやさしさ、人のプライド、そういうことが感じられる人の手仕事が今以上に価値をもつ時代になる。
そんなこだわりのものを買うということは、AIの時代になっても、人が人の存在価値を確認できるための手段、消費なのかもしれません。
そして、手の仕事には、人の心をいやしたり、ゆたかにする力もあります。
たとえば、小さいとき、おかあさんの手であたまをなでなでしてもらうと、とてもうれしかったり、やすらいだりしました。
おかあさんのなでなでも愛情がこもった最高のこだわりの手仕事だったなと思います。
レクサスの高級フロアマット工場の手仕事を見て、そんなことを思いました。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt