問題解決の研修では、学びとはどういうことかをあらためて実感しました。
学びとは、自分が理解できないことをあたらしく知ったり、きづいて、考え方や行動が変わること。
だから必然的に、学びは他者から学ぶことになります。
その研修では、実際の仕事を題材に、問題解決の切り口で、他者である先生が質問をしまくります。以前書いた塾の先生に目的を問い続けた人のように、なんども発表者に質問します。
実際の仕事を知らずにいろいろつっこむので、知らないから言えるんだと言われる方は腹が立ちそうなのに、なぜか腹が立たない。腹がたつのではなく、考えさせられる。そして、
他者からの問いによって自分に欠けていた視点や不十分だった考えに気づく。
そして、研修では、受講者が今度は他者となって質問をしなければいけません。
自分が他者となって人に問うことは、自分を客観的にみる訓練にもなります。
そうすると、自分自身の中で他者との対話ができるようになる。そうやって学びとはふかまっていくのだなぁと思いました。
他者といっても、人だけではありません。本はもちろん、自然や出来事も他者です。
そういうあらゆる他者の自分が理解できないことを納得いくまでかんがえて、自分のものとする。
たとえば、予想外にちょっとわるいことがつづいたりした時、これは何かわるい知らせじゃないか?今やってることがよくないってことじゃないか?と気づくとします。
これなんかその人に何か気づかそうとか教えようとか誰かが考えているなんてことはないわけで、そう思った人は勝手に思っているわけですが、これはこれで立派な学びです。
他者とふれあい、語り合い、その中から自分が勝手に何かを学ぶ。相手も何かを学ぶ。そうした学びは、いろんな拡がりをつくり、世の中をゆたかにしていく。
相手が、自分が他者であることをこわがらず、楽しむ力、それが学ぶ力なんだと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt