この言葉を問題解決研修をうけながら、思い出しました。
守はルールや型を守って物事ができること。
破はルールや型を破ってもルールの本質は破らずにできること。
そして、離はルールから離れて思いのまま自由にやっても本質から離れることがないこと。
問題解決研修の先生がさまざまな実例のレポートを見事にコメントで問題解決の学びにかえていく姿をみて武道の達人みたいだったという話を書きましたが、まさしく離とはこういうことなんだと思ったわけです。
弓と禅という本があります。

- 作者: オイゲン・ヘリゲル,稲富栄次郎,上田武
- 出版社/メーカー: 福村出版
- 発売日: 1981/11/01
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 34回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
そこで、江戸時代、茶道の達人がチンピラにかこまれる話がでてきます。チンピラにおそわれそうになった達人は、覚悟を決めて、刀をぬいて構えます。そうすると、チンピラたちは茶道の達人を剣道の達人だと思って、逃げてしまったそうです。
道とは、人の道、生き方のことをいいます。だから、剣道も柔道も茶道も弓道も学ぶ本質は同じ。茶道の達人は剣道の達人と同じ本質を学んでいたから、刀を構えたとき、チンピラは剣道の達人と思って逃げたわけです。
これもまた、守破離の離の領域の話だと思います。
すごいですねと先生に言ったら「サボってたでしょ。私はずっとやってきましたから」と笑いながら答えてくれました。
前に書いた10000万回のタックルや一流とはあきずに続けることという話を思い出しました。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt