屋久島の森がどんなふうに生まれたのかは昨日書きました。では、
生まれた森はどうやって育つのか?
屋久島の森には倒れた木や切られた木がたくさんあります。その倒れた木や切られた木の上にまた苔が生えて、その上にあたらしい木が育っています。倒れた木や切られた木の上にまた木が生えている姿にはとても強い生命力を感じます。
人に切られなかったとしても、木も歳をとるとたおれます。木が大きくなりすぎて、自分のカラダを保てるだけの葉っぱと根っこがたらなくなる。そうすると、木の幹の中が空っぽになったり、木の先がおれたり、人間の骨のように真っ白になったり、木が弱くなります。そして、台風や大雨でたおれる。
老いた木がたおれるとその場所に日の光があたるようになる。そうするとそこに新しい木が育つ。それが森が育つしくみです。
老木が新しい木に場所をゆずって、森は育っていく。
そんな森をみて、人間社会や会社のことを思いました。
人の社会もまた、老いたものが去って、新しいものは育つ。
老いたものの中には自分を追い出すくらいに若いものががんばらないから自分はやめないという人がいます。たしかにそういう面もある。でも、自然はそういう考え方は必ずしもただしくはないと教えているような気がしました。
ボブディランの「時代はかわる」という歌があります。そのなかにこんなフレーズがあります。
全国のおとうさん、おかあさん、
聞いてほしい。
批判するのはやめてくれ。
自分たちが理解できないことを。
むすこもむすめも
もうあなたのいうことは聞かない。
古い道はもうすごい勢いですたれている。
手を貸すことができないのなら
新しいことからもう出ていってくれ。
時代はかわっている。
自らかわる時代に先駆けてかわるくらいの気持ちでがんばる。それができなくなったら老いたということ。老いたら新しいものに道をゆずる。
きびしい環境で生きぬいた木とその最後にたおれた木、そのおかげで育つ新しい命はそんなことを教えてくれた気がします。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt