大学のバンドと彼女の話を書いたので、勉強の話もすこし。
昔、なぎスケという草なぎ剛とユースケサンタマリアが司会のバラエティ番組があって、その番組の
ギリギリマスターという企画が大好きでした。
たとえば、めざまし時計の針を目をつぶってアラームがなる寸前で針をとめるとか、風船をギリギリまでふくらませて、割ったほうが負けとか、ようするに、誰が一番ギリギリで寸止めできるかを競いあって、ギリギリマスターを決めるという企画です。
昔、端っこが好きという話を書きましたが、ギリギリというのも好きです。
大学では法学部で法律の勉強をしました。
勉強をしたと言っても、バンド活動の日々だったので、ほとんど授業は出ていませんでしたが、それでも卒業するために、法律の勉強はしました。
法学というのは、法律をどう解釈するかという学問です。
法律をどう解釈するかというのは、ギリギリセーフとアウトを決めるということです。
だから、法学部ではギリギリを学んだと思っています。
ギリギリを決めるために大事なポイントが二つあります。
ひとつは、法律が定められた目的。
法律は、どんな社会をつくりたいかという目的があって制定されます。で、現実には制定したときには考えもしなかったことがおきます。そうすると、それが違法かどうかを解釈しなければいけません。そのとき、その起きたことが目的からみて、OKかどうかがとても大事な解釈のポイントになります。
もうひとつは、その時代の常識。
常識は時代とともに変わります。常識とはそのとき生きている大多数の人がただしいと思っていることです。法律が制定された時から時間が過ぎて常識がかわったとき、常識にあわせて法律の解釈も考え直さなければいけません。なぜなら、そうしないと判決がみんながそのとおりと思う判決にならないからです。だから、常識もとても大事になります。
ギリギリセーフかアウトかは、目的と時代の常識、どんな社会をみんながめざしているのか、望んでいるのかで決まる。
つまり、
ギリギリがわかると、本質がわかる。
考えてみれば、塩加減や火加減はギリギリまで極めた料理は最高、ギリギリまでチューニングしたクルマの性能は最高。
ギリギリって何事にも大事な感覚だと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt