今日もゴルフの話です。
松山英樹にある人がこう聞いたそうです。
「松山選手は、たとえば1ヤードきざみでショットを打てるんですか?」
答えは、
「できませんよ。それができたら、ぜんぶバーティーとれますよ。」
言われてみればそのとおりです。松山選手といえども、思いどおりに玉を打つことはできません。それで今度は
「なにが一番むずかしいですか?」
と聞くと答えは、
「一球一球違うことです」
それは地面の状況や風などの天気の違いですかと思って聞くと、
「そうではありません」
「じゃあ、なにが違うんですか?」
と質問したところ、
「自分自身です」
という答え。ゴルフは玉がとまっているので、毎回打つときに自分が違うことがきわ立つのだそうです。それは気持ちだったり、体調だったり、すべてが完璧にそろったことは一度もないといいます。
その話を聞いたとき、なるほどなぁ〜とすごく感心してしまいました。
動いている玉を打つのももちろんむずかしいことです。これは相手が動き変化するのに対して、自分がどう合わせるかのむずかしさ。
それに対して、ゴルフは相手がとまっているから、変化する自分をどう自分でコントロールするかのむずかしさ。
どっちもむずかしいけれど、かなりむずかしさの質がちがう。
座禅はじっと座りつづけることで、自分の気持ちが変化するのを感じ、無になる努力をする禅の修行。
ゴルフって、禅の修行みたいだなと思いました。
弓と禅という本の話を前に書きました。
弓の達人も剣の達人も茶道の達人も、その道を極めた人が学ぶことは同じ。どんなことがあっても平常心でいられる心のつよさ、姿勢だと書いてありました。
何事も極めると学ぶことは相通ずる。それは、人生で一番むずかしいこと。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt