キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去の出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

こだわりをもて。しかし、囚われるな。

「こだわりをもて。しかし、囚われるな」
 

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何度かふれた伝説の雀士、桜井章一さんの言葉です。桜井章一さんが、20年間負けなしのマージャンをするなかでみつけた生き方、心構え。 

 

マージャンのうちかたや心構えに対して、こだわりをもってうつ。
 
心をつねにまんなかにおいて、どんな変化にも間に合うように準備をおこたらない。
つもったら一秒で決断して牌をきる。
きったら、次の準備のために後片付けをする。
ここというきびしい局面で逃げない。
こころは常にやわらかくする。などなど。
 
逆に囚われとは、
 
とにかく一番になりたい。
大きな手で勝ちたい。
ドラ牌をすてない。
手段を選ばす勝つ。などなど。
 
そういうことに気持ちに囚われてうつ。
 
マージャンでは、
 
こだわりをもって打てば負けないが、囚われてうつと負けるそうです。
 
人生も同じだなぁと思います。
 
しかし、こだわりをもってやろうが囚われてやろうが、決めた行動を変えないという意味ではまったく同じ。
 
紙一重のちがいなのに、その違いで勝ち負けが決まってしまう。
 
自分でも何かをすごく大事にしているとき、それがこだわりなのか、囚われなのかわからなくなることがあります。
 
たとえば、一番になることにこだわることと、一番になることに囚われることとのちがいは何なのか?
 
昨日書いた割烹料理屋さんは「最高」にこだわっていますが、「最高」の場合、「最高」に囚われるとはあまり言いません。
 
一番になることにこだわるとは、最高になることにこだわること。一番は最高になった結果であり、目的ではない。
 
一番になることに囚われるとは、一番ですごいと言われたい思われたいという欲に囚われている。だから、一番になることそのものが目的となる。
 
囚われるといえば、「過去の成功体験にとらわれるな」とよく言います。
 
過去の成功体験は、なにか目的を達成するためにしたことです。だから、最初は囚われてしたことではありません。むしろ、目的を達成することにこだわってしたことです。
 
でも、そのやったことに対する
 
こだわりは、世の中が変わって、その方法が役に立たなくなったとき、囚われに変わる。
 
また、
 
自分が思いどおりにいかないとき落ち込むのは、自分はこれだけやったのにという努力の量にとらわれている。
 
目的にこだわっていれば、落ち込んでいるひまはなく、まだ努力が足らないんだともっとがんばるはずです。
 
こだわりは未来。囚われは今。
こだわりは世の中のため。囚われは自分のため。
こだわりは道をひらくが、囚われると道をあやまる。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt