新型コロナウィルス感染拡大への対応をどうするのか?今の緊急事態宣言を続けるのか、やめるのか?
とても難しい問題です。テレビに出てくる感染学の専門家の中には新しい感染者が二桁、もしくは一桁にならない限り、緊急事態をやめるべきではないとおっしゃっている方がいます。
感染学者の立場ではそうだろうが、今の状態を続けるということは、経済を止めるということ。これ以上経済が止まれば、倒産したり、失業する人たちがたくさん出る。今の状態を続けてそれを防ぐにはお金が必要になる。大量の赤字国債を発行しなければならない。それは未来の人たちに大きな負債をつくることになる。
そういう事態を避けるには緊急事態を緩和して、休業要請を取り下げるしかない。でもそうすれば、感染者数は一気には減らない。死亡する人も出る。
結局どちらかを選ばなければいけない。
それは感染学の専門家が決めることではない。
どっちつかずはいけない。政治家が覚悟を決めて、責任を持って決めなければいけない。
聞いていて、納得しました。と同時に
「責任をもつ・とる」ということはとんでもなく重いことだと思いました。
「豊田章男」という本を読みました。そこには「社長は決める人、責任をとる人」という言葉がなんども出てきました。
「責任をとる」とは自分の決断によって、マイナスの影響を受けることになる人たちの人生に対して責任をとるということ。
新型コロナ対策の決断であれば、倒産する人たち、あるいは、新型コロナで亡くなられる人たちに対する責任、
会社であれば、もし工場を閉めるという決断をすれば、その工場で働く人、その人たちの家族の生活に対しての責任、
戦場であれば、戦場におもむき命をかける人たちへの責任、
それは一人の人間が背負えるものなのか?でも、それを背負わなければならない役割の人たちがいます。たいへんなことだと思います。
仕事の中で、ミスしたり失敗したりした時に「私が責任を取ります」という人がいます。
この場合の責任は「自分自身が損をしてもいい。首になってもいい」という意味です。
侍のハラキリにも似て、いさぎよい態度に聞こえますが、失敗すれば、その失敗でマイナスの影響を受ける人たちは必ずいます。
本来、自分一人が責めを負えばいいというものではない。また、負えるにはそれだけの力がなければ負えません。
政治家、社長、大きい会社、小さい会社、家族、背負うものの大きい小さいはありますが、人にはなにがしか背負っているものはあります。
自分のためだけではなく、世のため人のために生きる、行動すること、そうできる力を磨くこと。
新型コロナウィルスはそんな問いを一人一人に問いかけているような気がします。
必ず学べることはある。
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt