大阪の歴史を感じて歩く楽しさを書きましたが、大阪と言えば商売。商店街が本当にたくさんあります。
その商売はどのように生まれ、成長したのか?
昨日ご紹介した「大阪アースダイバー」という本に書いてあったことですが、
まず、日本は農業を主体とした国として生まれました。その頃の経済は贈与経済だったそうです。
つくられた物、所有物にはそれを作った人、持っている人の魂のようなものがこもっている。だから、物を誰かに手渡す時は、その思いも一緒にわたすことになる。だから、物をわたすこと=贈与となりました。
だから、物を売買するには、その物にこめられていると思われていた人の魂のようなものを切り離して、物の価値を判断することが必要でした。
大阪商人の祖先あたる人は大陸から、淀川の砂州に住み始めた人たち。
砂州は、普通の土地と違い、土地の形が変わる、洪水もある。だから、
土地に定住するという感覚がない自由な人たちでした。
そんな人たちだから、物に対する感性も自由で、その機能を純粋に見ることができた。
最初にあつかった物品は神社や寺へのお供え物のあまり物でした。
お供え物は神様にお供えした時点で、人の思いはもう断ち切られているとその頃の人たちが感じていたからだそうです。
だから、大阪の商店街は、たいてい神社や寺につながっています。
そうした商店街を歩いていると、商売発祥の地を歩いている気がして、タイムスリップした気分になります。
社会が発展するにしたがって、あつかう物品は増えていきます。
すると、そうした物品を流通させるのに、そうした大阪商人の先祖が活躍するようになりました。
そして、商人たちは商人の社会を独自に創り出します。
商人は、物に秘められた人の思いや、権力を切り離して考え、お金にすることができる。だから、土地や権力に基づいた社会をつくりませんでした。
彼らがつくった社会は信用で結ばれた社会です。
人の思いを断ち切ってお金にすることは気持ちがすさむ。だから、商人たちは自分たち同士ではお金のやり取りをせず、信用取引をするようになりました。手形です。そして、お店には品物を並べず、暖簾を掲げました。今でいうならブランドのマークです。
そして、信用による商人の人たちの結びつきの背景には、
商売によって世界に豊かな富をもたらすこと、この世に福利をもたらす存在であろうとする志があったそうです。
松下幸之助はそういった大阪商人の店で丁稚奉公をして育ちますが、著書「道をひらく」の中の「商売の尊さ」という章でこう書かれています。
商売というものも、宗教に一脈相通ずるものがあるのではなかろうか。商売というものは、暮らしを高め、日々を豊かにするために、世間の人が求めているものを、精一杯のサービスを込めて提供していくのである。
そのころの建物は今も北浜地区で見ることができますが、そう思ってみると何か風格のようなものを感じます。
今回、新型コロナ対策で大阪は、国の動きをただ待つのではなく、大阪で仕事する人々を救うために、独自に合理的な判断で、全国をリードするような動きをしています。
今の大阪の動きにはどこか、物事を合理的にとらえ、自由に生き、権力ではなく信用で結ばれた社会をつくってきた大阪商人の伝統を感じます。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful nothing hurt