外出自粛でオンライン飲み会をする人が増えています。
自分もオンライン飲み会、何回かやってみました。
実際にあって話すのと同じとはいかないけれど、それなりに楽しく飲みながら話すことはできるし、1時間くらいはあっという間に過ぎて、時間をもてあますなんてこともありません。居酒屋さんで飲めない今、こんなふうに飲めるのはありがたいことだし、なかなかあえない遠くの人とあって飲めるのはいいもんだなと思います。
ただ、オンライン飲み会は楽しいのですが、いつも終わる時と終わった後が、なんともさびしい、変な気持ちになってしまいます。
日本人はわかれるときに、「さようなら」といいます。
さようならとは左様なら。あなたがそうなら、この場はお開きにしましょうという意味です。
だから、別れる時というのは、その場の雰囲気というか空気のうつりかわりの中で、そろそろお開きって感じになったかなと感じて、さようならとなります。
そろそろお開きかどうかを、少し話が途切れ途切れになるとか、時計を気にする人が出てきたなとか、最後にみんなで肩組んで歌うとか、机の上を片付けはじめるとか、いろんなことから察するわけです。
ところが、オンライン飲み会となるとこうした場の雰囲気を感じながら話すということが難しい。画面を見て話すので、目をそらすことができない。ずっと黙ることもできない。結果、画面を見てひたすら話すことになります。
そうなると、
オンライン飲み会は終わるのが難しいという人もいますが、いつお開きにしたらいいかが大変わかりづらい。
終わる時は突然やってきます。
「そろそろ切りますか」
きる瞬間がまた独特で、切った瞬間に相手はいなくなり、一人の自分になります。
実際にあっていれば、そうはなりません。
じゃあね〜またねなんて言いながら、手を振って、少し歩いたところで振り向いて、相手の笑顔を最後にもう一度見て、もう一回じゃあ〜なんてちょっと大きめの声で言って歩いていく。そんな風に徐々に一人になっていく。
ところが、オンライン飲み会はブチっと終わってしまいます。
ドラえもんの「どこでもドア」っていいなと思ってましたが、「どこでもドア」で、どっかに行って、誰かとあって別れるのも、ひょっとしたらそんな感じなのかなぁ~。
人に会いにいったり、別れて帰る移動する間に、相手を思うこと、そのための時間があるって大事だったんだなって気づきました。
昔、遠距離恋愛しているとき、よく長電話をして、前書いたようにかつあげにあったこともありましたが、長電話ってふしぎにきってもオンライン飲み会みたいにさびしくはならなかった気がします。
長電話だとあってる感がすくないのと、声だけで相手の気持ちをすごく想像して話すからよかったのかな?
コミュニケーションって、目で見える映像や言葉だけじゃなく、会ってる間だけでもない。
あらためてそう思いました。
必ず学べることはある。
学んだことは次の人にわたす。
Everything is beautiful, nothing hurt