人が幸せになるために必要なことは3つの居場所があることだと思ってきました。
まず、生きているだけでいいと言ってもらえる場所。
家族や恋人との場所です。
次に、夢や喜びを一緒に追いかける場所。
友達や仲間との場所です。
そして、社会の役に立てる場所。
会社や職業、趣味の発表の場などです。
先日、「現代経済学の直感的方法」というちょっと難しい題の本を読みました。
資本主義の仕組みについて、独特の例えを使いながら、今まで聞いたことのないような切り口で、とてもわかりやすく書かれている本です。
そこに、今まで気づいていなかった幸せについて書いてありました。以下、一部表現を要約していますが、抜粋です。
「可能性による幸せ」
資本主義は人が欲望を満足させて利益を極大化させようとする力で動いている。そして、その力で制限なく進み、欲望が物や情報の形で無制限にかなえられてしまうと何が起きるのか?
人間の不幸は絶望であり、どんな苦難があってもどこかに活路があると信じている限り、人間は驚異的な力を出して生き抜くものである。
しかし、人は希望を断たれることばかりでなく、希望がかなってそれを味わってしまうことでも、活路を断たれたと感じるらしい。
人は全てを実際に手に入れて可能性が塗りつぶされ終わった状態よりも、まだ何も現実には手にしていないが可能性を感じて生きている状態の方が幸せを感じている。
そんなことが書いてありました。
今まで思っていた居場所の考え方には、変化という観点がなかったなと思います。
前に書きましたが、そもそも生きることとは変わることです。人は常に変わりつづけています。ということは居場所も変わりつづけます。
そして、人は変わらないと決めたり、あきらめたりした時、変わらないのではなく、衰え始めます。
人には信じることのできる可能性、希望が必要です。その希望に向けて、変わりつづける努力をすることが幸せなんだろうと思います。
資本主義ではその可能性や希望は、お金に換算されてしまいます。人はお金に換算されたとき、換算しきれていない自分や自分の行為が切り捨てられたような気持になります。また、お金は、いったんお金持ちになったら、可能性を換算したものではなくなります。
お金や社会的地位には換算できない可能性や希望を自分のなかにしっかりともつ。
その姿をしっかりとイメージして、将来の居場所と居場所にいる自分に変われるように、たどり着いて未だ山麓の心境で、努力しつづける。
そういう自分になれるようにがんばりたいと思いました。
新型コロナの影響をものすごく受けている人たちは、今お金がないことにも困っているけれど、可能性や希望をもてなくなっていることが、すごくつらいに違いありません。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt