キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去の出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

あいまいなルール

日本はほんとにルールがあいまいな国だなと思います。
 
どこの国も、ルールにあいまいさは残りますが、日本は特にあいまいなことが多いと思います。
 
今回の賭けマージャンも、マージャンにくわえ、それを行った時期など、たしかに検事長という立場の人がやるべきではない。今の批判はもっともで、どういう結末になるかは見とどけたいと思います。
 
ただ、賭けマージャン自体が賭博罪にあたるのかといえば、自分はマージャンをやりませんが、マージャンをする人全員が、まったく賭けをせずにしているということはまずない。今回、一緒にマージャンをしていた記者の名前は公表されていません。
 
世の中にはマージャン好きな人はたくさんいて、マージャン好きな人が常習賭博をしている人かといえば、必ずしもそんなことはないように思います。
 
今回はあいまいさの悪いところがすごく出ているなと思います。
 

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このあいまいなルール、あげだしたらきりがありません。
 
パチンコ屋さんの景品交換所。
賭博はダメなのに、公認のギャンブルがあること。
時速80キロ制限の高速道路。
時速40キロの一般道路。
速度違反を探知できるレーダー。
そして、今回の自粛要請。
 
いったい最後の最後、なにが違反でなにが違反でないのかがハッキリしません。
 
ただ、あいまいさは必要不可欠でもあります。
 
人の行動のいい悪いは、ウソも方便ということわざがあるように、その状況によってかわります。にもかかわらず、杓子定規にルールの数字を破ったからと、すべて罪にしてしまうのも感覚にあいません。
 
自分は一応法学部を卒業しました。法学は、主に法律をどう解釈し現実に適用するかを考える学問です。
 
現実は変化しますが法律はすぐに変えることはできません。すると、変化した現実に法を適用するために、法律を解釈する必要が出てきます。だから、解釈を許すあいまいさは必要です。
 
では、何に基づいて解釈するのか?
 
それは、目的と常識に基づいてだと思います。
 
あらゆる法律には目的があります。殺人罪であれば殺人のない社会を作るという目的。道路交通法であれば、安全に道を走れる社会にするという目的。一方、世の中には善悪の常識があります。起きた現実が実現したい社会に反することか?常識的に悪いのか?という観点で判断するわけです。
 
例えば、制限速度の目的は道路を安全に走れるようにすることですから、時速60キロぐらいで、全体の車の流れを乱さず運転している人が取り締まられることはあまりありません。また、高速道路の自動速度取締レーダーは事故が多発する場所に取り付けられています。
 
今回、誹謗中傷で人が命を絶ちましたが、書き込みをした人は罪に問えるのか?
 
殺人罪や過失致死罪は人が命を守るためにあります。だとすると、すごい数の書き込みをした人は、車で人をひき殺した人が業務上過失致死になるように、過失致死にはならないのか?便乗して1回書き込みした人はセーフでも、毎日100件あったと言われている書き込みのうち、仮に30件が同じ人だったら、この人はどうなのか?
 
それでも、日本はあいまいなことが多すぎる。
 
あいまいにしておくと異常かどうかがすぐわかりません。
 
すると、異常かどうかを判断するために毎回議論したり検討したり、結果、効率は悪くなるし、時間もかかる。判断が改善にもつながらない。
 
さらに、あいまいさはお互いがある程度お互いのことを知っていて、事情を勘案できる安心社会ならいいのですが、そうでない社会では、不信を生んでしまいます。
 
こうしたことを今回の緊急事態で痛感しました。
 
安心できない状況ではあいまいさより、緑に光る通天閣のように、明確さが判断のスピードと安心をつくります。
 
緊急事態は解除されましたが、安心できない日々は続きますし、新型コロナが収束しても、今の世の中はすごいスピードで変化する先行きが読めない不安定な時代です。
 
あいまいさの良さは残しつつも、明確さが求められる時代になったんだなと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt