勝ちたいという気持ちでがんばる。
これも自分史でよく聞いたことです。
最近は、競争があまり好きではない人がふえました。ゆとり教育で、子供同士を競わすのはよくないと考えた時代もありました。自分の息子の運動会を見に行って、かけっこの結果を上位3位とそれ以外にしか、分けないのを見た時は本当にビックリしました。
また、クラスでのいじめが増えて、競争に勝つよりとにかく目立つことを避ける子どもも増えたそうです。
それでも、
勝ちたいというのは人間の自然な気持ちだと思います。
その源の一つは、マズローの5段階の欲求の最初の欲求、生存欲求ではないかと思います。
負けれは死ぬ。
新型コロナ感染がひろがるなかで、誰よりも早くマスクをてにいれようとしたり、トイレットペーパーを競うように買うのは生存欲求そのものだと思います。
もう一つは、認知欲求。認められたいという気持ち。
自分は小学校3年生の時に、ただただ一番になって認められたいという気持ちだけで勉強をするようになりました。
別に勉強が好きだったからではありません。他の誰かが勝ちたいと思ってスポーツに打ち込むのと同じ気持ちでした。
何度か引用してきた桜井章一の「負けない技術」という本には、
負けないというのは動物の本能だか、勝ちたいというのは人間の欲
だと書いてありました。
勝ちたいという気持ちは一番になりたいとか、かっこよく勝ちたいとか、こてんぱんにやっつけたいとか生きるためには必要のないことまで望みます。そういう欲望をもって戦うと、必ず負けることがあるそうです。
ただ、欲望で競争も行きすぎるとよくありませんが、そうした競争心がいいものをつくり、世の中を豊かにしてきたことも事実です。
そもそも、もう今の世の中は生きるためには必要なものは十分そろってますから、今以上に良くすることは、動物の本能の領域ではなく、人間の欲望の領域と言えるかもしれません。
勝ちたいと無邪気に言う子供や若者は見ていてとてもすがすがしいものです。
問題解決にしても、よし!この課題を解決するぞと立ち向かうために、勝ちたいという気持ちは原動力になります。
昔、販売店の代表者の方が、会社をよくするとき、正しいと思うことをいくら理屈で言っても誰も動かなかったのに、正しさを言うのをやめて、ライバルに勝つぞ!とか、一番になるぞ!と言うようにしてから、みんなが動くようになったそうです。
そんな勝ちたいという自然な気持ちをみんなが持って、人の幸せや笑顔をふやすことを競いあい、お互いを高め合い、一人ひとりが成長できる会社、社会っていいなと思います。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt