あるべき姿を考えるのに、なぜ、そもそもの目的までさかのぼって考えなければいけないのか?
それには三つのわけがあります。
ひとつは、問題解決は大きな目的を果たすために永遠に続く改善だからです。
トヨタであれば、移動を通じて人の幸せを量産するという目的に向けて、改善は永遠に続きます。大きな目的がなければ、改善はとまったり、道に迷ったりします。まさに、昨日書いたような目的と目標と手段が混乱しはじめるわけです。
以前、矢沢永吉さんの夢のかなえかたを書きましたが、矢沢さんとバンドメンバーとが距離ができてしまったのもまた、目的と手段の行き違いです。
ふたつめは、大きな目的や夢はひとりでは実現できないからです。
自分の仕事は会社の大きな目的を達成するためにある。同じ目的のために役割を果たそうと頑張っている違う組織の人や取引先の方がいる。
自分がいくら頑張っても、関連する組織や会社が同じように頑張ってくれなければ、いい仕事にはならないし、目的を果たすことはできません。
違う組織で働く人にとっても、それは同じこと。お互い様です。
会社というチームでいい仕事、世の中のためになる仕事をしようと思ったら、それぞれが同じ目的をめざして連携して仕事しなければいけません。
そのためには自分の仕事や組織の目的だけでなく、それぞれがより上位の目的をはっきりと理解する必要があります。
そして最後に、会社の目的、思いと自分の思いを重ねあわせるためです。
自分の思い、やりたいことと会社の思いが重なっていなければ、会社でやる仕事はやらされる仕事になります。
仕事がやらされる仕事になると、自分の仕事の目的は言われたとおりにやることになってしまいます。
言われたとおりにやると思ってやることは自主的に改善や問題解決をしようとは思いません。
では、なぜそもそもの目的までさかのぼると自分の思いを重ねあわせることができるのでしょう?
目的はさかのぼれば、さかのぼるほど抽象的に、普遍的になります。すると、会社のビジネスの目的も人の人生の目的と似たものになっていきます。
たとえば、自分の場合は風になりたいとか言って今から考えればすごくいい加減に会社に入ってしまいました。なので、最初は当然車にそんなに興味があったわけではありませんでした。でも、バンドをやっている時から人に喜んでもらうこと、人の幸せそうな顔を見ることが好きでした。
車を売ったり、そのサポートをするという仕事の目的には思いは重なりにくかったのですが、移動を通じて人の幸せを量産すると言われると、人の幸せを量産するという思いと自分の人の幸せそうな顔を見たいという思いはすごく重ねることができました。
上司がそのことを気づかせてくれたとき、自分のやる気スイッチが入り、問題解決に必要な当事者意識が生まれました。同じ船に乗っているという感覚が生まれました。
そうした意識、感覚は、あるべき姿を描くために必要不可欠なこと、前提になります。
それはなぜか?でも、その前に自分の思いなんてないって場合はどうやって思いを持つのか?
続きは明日です。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt