さて、あるべき姿の描きかたを書いてきましたが、あるべき姿を描いているうちにわけが分からなくなることがあります。
それは、
あるべき姿とはお客様や世の中のあるべき姿なのか?それとも、その時の自分のあるべき姿なのか?
ということ。
ドラッガーが言うように、あらゆる企業の活動は、顧客の創造です。顧客の創造なくしては売上も利益もあげることはできません。だから、
仕事のあるべき姿は、お客様のあるべき姿、お客様をどうしたいかを描いたものです。
ただ、実現したいお客様の姿を実現するのは自分です。お客様の姿の裏には自分の姿もあります。
お客様が自分の会社のおかげでとても幸せになっていれば、その会社はお客様にとってなくてはならない存在になっているはずです。
「お客様にとってなくてはならない会社になる」とか「世界一の会社になる」とか「街いちばんの会社になる」というビジョンがありますが、これは自分のあるべき姿のことです。
矢沢永吉さんが俺はBIGになる。スーパースターになるという夢を語る時、その夢は自分のなりたい姿です。一方で、矢沢さんがそうなった時には、スタジアムでいっぱいの絶叫する感動した矢沢ファンの姿があります。
つまり、
お客様のあるべき姿とその時の自分のあるべき姿のどちらを描くのかではなく、両方描いた方がいい。
なぜなら、人が何かを成し遂げようと思う時には、たとえ人によく思われなくても世の中を良くしたいという野心と自分が偉くなりたい、金持ちになりたい、人気者になりたいといった虚栄心の両方が必要だからです。
野心だけでは理想的になりすぎて人心が離れる。虚栄心だけでも自分勝手で人の気持ちが離れる。
矢沢永吉さんも、本を読むと最初のエネルギーは金持ちになりたい、貧乏暮らしをバカにした友達や親戚を見返してやりたいという気持ちだったようです。
この間、紹介した「非常識な成功法則」にも書いてありましたが、今まで出会ったベンチャー起業家の方も、最初は、お金持ちになりたいとか、親に恩返しがしたいとか、誰かに勝ちたいとか、がんばる原動力は自分の欲だったと言う方が多かったように思います。
ただ、自分の欲は成功すると満たされるのが早い。お金はあんまりたくさんあってもしかたない。欲が満たされると事業に飽きる。がんばろうという気持ちが続かなくなる。すると、そのエネルギーが変な方向にいったりしてしまうそうです。アンジャッシュの渡部なんかもそういうところがあるのかなと思います。
そこで、自分のためではなく、世の中をよくしたいという人のための気持ちにめざめ、また事業に取り組む姿勢が変わる。
自分の欲、虚栄心がロケットが発射するときの最初の噴射だとしたら、世の中、お客様をこうしたいという野心は二段ロケットの噴射。
最初のロケットで離陸して、二段目のロケットで宇宙までいけば、人工衛星が無限に地球のまわりをまわりつづけるように、自分のあるべき姿の実現にむけてスタートし、お客様のあるべき姿をめざして永遠にチャレンジし続けるようになる。
自分が動くために、人を動かすために、二つのあるべき姿を描く。
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt