キムライフ・キムライブ

もらったものは次の人に渡す。日常での気づき、過去の出会い・経験、大好きな本や音楽などからもらったものがどこかの誰かにわたり、もし役に立てればうれしいです。

黒牛の救出

この前、朝のワイドショーでこれからセリに出される黒牛が逃げ出して川を歩いている牛を救出したというニュースを見ました。
 
牛とはいえ、暴れ出したら危ないので、大勢の人が牛をつかまえるために集まって慎重に牛をつかまえる姿が放送されていました。
 

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で、みていて思ったこと。
 
黒牛の救出っていうけど、これから肉牛として殺されて食べられるんだよなぁ〜それでも、救出っていうのかな?
 
っていうこと。
 
牛にしてみたら、殺されるのを察知して逃げ出したかも知れず、だとしたら、これは救出ではなくて、捕獲。人に例えれば、脱走した犯人の逮捕。
 
どうして救出って言うんだろう?
 
昔、宮崎で狂牛病が流行って大量の牛を殺傷処分しなければならないことがありました。
 
で、
 
ニュースで酪農家の方がインタビューに涙ながらに答えたときに言ったこと。
 
「こんな形で死ぬなんて牛がかわいそうで、不憫です」
 
これもなんだか不思議だなあ〜と思ったことを覚えています。
 
牛にしてみたら、狂牛病で殺されるのも、食肉として加工されるために殺されるのも、同じはずです。
 
ところが、酪農家の方が言うには、
 
「きっと牛もおいしいおいしいと喜んで食べられたかったろうに」
 
いやいや、命ある動物でおいしく食べられたいなんて思って生きている動物なんているはずがありません。
 
どうしてかわいそうで不憫ってことになるのだろう?
 
これってぜんぶ人間中心というか、自分中心で牛を見ているからだと思います。
 
自分が頑張って育てた牛が逃げてしまったり、病気にかかってしまったりすると、自分の努力が水の泡になってしまう。
 
その人にとって牛は牛ではなく、自分の努力の結晶、自分の努力そのもの。だから、救出になるし、不憫にもなる。
 
これと同じことになるリスクは、ほかにもあるなと思います。
 
親と子です。
 
親が一生懸命に子供を育てて、親にとって子供が親の努力の結晶、自分のなりかわりみたいになってしまう。
 
でも、子供は親とは違う一人の人です。そういう気持ちは持つべきではない。
 
命をちゃんと独立した命としてみること、尊重すること。
 
あるべき姿を考えているときにも、一人よがり、自分がいいと思うことは相手にとってもいいことだとついつい思うものです。
 
相手は違うということをわすれない。仕事でいえばお客様視点を心がけたいと思います。
 
必ず学べることはある
学んだことは次の人にわたす
Everything is beautiful, nothing hurt